エクスプロージョン ・ チケット / 1

Explosion Tickets | Free

表題に付いては、一言注釈が必要である。

或る著名プロモーターが「 ロック・エクスプロージョン`70 第○弾 」と銘打ち、多くの外タレ( 外人タレント )を招聘してきた時代が在り、その商標であったプレゼンテーション名をパクッてみたのだ。

当時のロックコンサートは、プロモーター毎に年間シリーズとしてパック化されていて、`70年代他社では「 ロック・カーニヴァル 」、`80年代になると「 ロッキュペイション | Rockupation 」 等々銘打ち、「 黒船 」の如く、ロック未開国へ外タレバンドが大挙してやって来ていた。

コンサートマニアではないが、`70~`90年代にかけては多くの会場へ私も足を運んでいた、其のチケットの多くが現在も手元に沢山残っている。

ソレを紹介しようと思ったところ、ネット内には「 チケット紹介サイト 」も数多くあり、「 今更はないだろう 」と勝手に推察し、多少「 斜めに捻ったチケット紹介 」だったら「 可能かも?」と思っているので、今後の展開はお楽しみに?

さて、リバプールサウンズ系のバンドがポップスだと仮定する・・・・・・だとすると、いわゆる黒船ロックバンド初来日は、私の記憶が正しければ`71年初頭のブラスロックの雄 、B.S.T | Blood Sweat & Teas が最初だったと思う。しかし、残念ながら私は武道館に参上?していない。

したがって、私のロックコンサート体験スタートは、`71春深夜サンケイホールに於ける「 Free 」の公演からなのだ!

それまでは、日本のコピーバンドでしか聞けなかった楽曲( All right now ) が、本物ロックバンドの多少荒削りなカッティングと、音源の「 バカデカさ!」と「 山積みのスピーカー 」に驚きを覚えつつ、耳ではなく身体から聞こえて来た事を、昨日の様に想い出せる。

実はその数年前、デザイン専門学校の入学式がこのホールで催され、初々しく参列?していたので、感慨もヒトシオだった。

そして当のフリー | Free は日本公演後、オーストラリアでの公演を最後に呆気なく解散してしまったのだ。
しかしである、翌`72年再結成し7月22日の後楽園球場(現在東京ドーム)に、ポール・ロジャースは再び来てくれたのであった。しかもベーシストは、当時としては大変珍しく、日本人(元 ミッキー・カーチス&サムライ:山内テツ )がフューチャーされるというオマケまで付いていた。
                そのチケットがコレだ???
        officialguardman_elpfree.jpg

この1972年7月22日付け封筒は、バックステージパス | Backstage pass の話となる。

コンサート会場の警備要請が、球場周辺の各大学総務を通じ体育会系各部に出されていて、私は東京○科大に在学していた友人を伝手に、硬派の丸刈り・角刈りに混じって白々しくロングヘアーのまま、幸運にも会場警備員のバイトを仰せつかった!のである。

エマーソン・レイク&パーマー | E.L.P が「 トリ 」を務め、私にとっての主役「 フリー 」は 、Paul Rodgers & Free って感じのバンドになってしまっていたが、前座ではなくメジャーバンドとして出演していた。
`69年のウッドストック | Woodstock 以降、バンドが多数出演する野外でのコンサートスタイルは、当時流行になっていたのだ。

そして、大ヒット曲 All right now | オール・ライト・ナウは、アンコールまで待ったが何故か?演奏されなかった、新生Free の記憶が多少「 後味悪く 」残っている理由なのかも知れない。

その後暫くは、欧米で「 テツsan 」と共に演奏活動したようだが自然消滅した。

しかし、伊達男ポール・ロジャースは、来日の縁なのか日本人女性と結婚、その後バッド・カンパニー | Bad Company へとバンド展開し、現在はフレディー・マーキュリー | Freddie Mercury 亡き後の、クィーン | Queen ヴォーカリストとなっている。

因みに、当時( ロック・エクスプロージョン`72第7弾 )のチケット代金は2階席で¥1.700円、バイト代は¥1.500円。私にとって、この上なく「 美味しい 」アルバイトだった事、疑う余地は無かった。

しかも、しか~もである。
この上なく美味しいコノ球場での「 一石二鳥アルバイト 」が、今や伝説となっている前年の`71年グランド・ファンク・レイルロード | G.F.R に引続き、二度目!!であったのは内緒にしておいて頂きたい?



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エクスプロージョン ・ チケット / 2

Explosion Tickets | Rod Stewart - Queen - Rolling Stones

2/ではデザイン観点から、リポートしてみたい。
時代を多少遡り`70年代中・後期において、人気チケット入手が大変困難で随分と「 手間隙 」掛けさせられた事、ミーハー時代過ごされた年配の方々には、ご記憶在るであろう。

該当コンサートの半年程前に、まずプロモーター窓口で並ぶのだが、徹夜組まで出て「 番号付整理券 」を入手する。その後、「 発券発売日 」その整理券で再度長時間並び、購入すると云うシステムだった。

しかし、いきなりそうなった訳ではなく`70年代初・中期では、チケットビューローへ行けばその場で座席表を指差し、「 コノ席○○枚下さい 」ミタイナ?感じで買えたのである。事実、`75年5月初来日のクィーン | Queen においては、僅か公演2週間前に武道館アリーナ席が購入出来た。

 queen_may`75

そんなアナログ時代でも、デメリットばかりではなくメリットも在る。例えば、チケットそのモノにも、発券システムと同様に!?「 手間隙 」掛けていたのだ。

上記クィーンのチケットは、ロゴタイプと同じイメージに日付等がデザインされ悪くはない、そして下記の様な、デザイン的に中々優れたチケットも過去には在った、しかも「 光沢厚紙!」で上端は「 ダイカット!」処理までされている。
グラフィックデザイン関係の方々ならば御分かりであろう、たかがチケット如きに、無駄と云っても良いほど経費を掛けている。

また足元が不完全に見えるのは、入場券として半券切り取られてしまったからだ。仕方のない事なんだが完全版お持ちの方在れば、ご紹介されては如何だろうか?

`79年5月16日「 ロッド・スチュワートのチケット 」は、企画者達の素敵な気持ちが伝わってくる、セクシーで美しく、スバラシイ入場印紙ではないか!

               rod_stewart`75
              
ところが現在は、I T 社会発展のお陰で?居ながらにしてP/Cキー打込めば、チケット発注!は出来る、入手困難な当時から俯瞰して眺めると、夢の様な話だ。

一つ問題提起をしておきたい。
I T だからこそ起こっているイタダケナイ事、チケットに魅力がなくなってしまった。
昔のチケットとの引き合いに出し、ローリングストーンズ関係者には申し訳なく思うが、他意は全くない旨お断りした上で、上記と比較して欲しい!

コンピュータ処理の発券では、感情や感性を揺さぶられないし、無機的でワクワク感がない?と云うか発熱しないのである。誰かオヤジのボヤキを聞いて頂けないだろうか?
       rolling_stones`90



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エクスプロージョン ・ チケット / 3

Explosion Tickets | Beach boys - Heart - Southern Allstars

湘南にBeach Boys が来てくれた事が在った。

江ノ島ヨットハーバー空地で、

真夏の2日間・野外ロックコンサート「JAPAN-JAM 」として公演が在り、

マリン・リゾート湘南に相応しいカリフォルニア出身の彼等は、

会場までヘリコプター!で通い、その「 トリ 」 を2日間努めてくれた。

60年代初・中期~70年代初頭に活躍したバンドなので、旬な時期は過ぎてるしオリジナルメンバー、ウィルソン家(兄弟&従兄弟)の美しい「 DNAヴォーカル・ハーモニー 」も既に聞ける訳ではなかったが、僅かにブライアン・ウィルソン | Brian Wilson も参加していたので「 ビーチボーイズ 」に違いはなかったのである。

コンサート出演バンドは、ビーチボーイズ ・ ハート ・ TKO ・ ファイヤーフォール、そして日本から唯一サザンオールスターズが参加していた。

そして我々は「 友達の友達みたいな 」多勢で、そのコンサートへ参加し楽しんでいたのだが、それぞれの「 メインバンド?違い 」存在する事、途中で気付いた。
勿論、我々男供はビーチボーイズやハートが目的・・・少なくとも私はそうだった?

ところがその会場に於いて、仲間の女性達( 4~6歳年少 )と男供とでは、盛上がる場面が明らかに違っていて、彼女達の興味対象は「 神輿!?」担ぎながらステージに現れた、未だデビューして間もない「 渚のシンドバット`サザン`」だった事、私にとっては新鮮な驚きを感じつつも、世代アイドル交代予感し一抹の不安感と、過ぎ行く時代変化を微妙に感じ取る事出来た、真夏のメランコリック・コンサートだったのである。
     enoshima.jpg

1979年8月4日、φ110mmの上記チケットはシールとなっており、女性達が水着の「 胸部やお腹、臀部 」へ貼り付けて、終日演奏している会場への出入りを、自由自在出来る様に工夫されていた。(注:チケットの書込`月`は何故か間違い)

したがって興味のない演奏時間帯では、江ノ島・島内散策や参堂仲見世の御土産ショッピング、海浜日光浴等へ外出し?不在になる為、気付くと云う次第であった。

その後、前座扱いだったデビューしたてのJ-POPバンドは、着々と実力を養い当時から21年も経過した2000年8月お盆に、茅ヶ崎市出身の桑田佳祐&サザンオールスターズとして凱旋里帰りし、今や伝説となっている茅ヶ崎市営球場&茅ヶ崎海水浴場(大画面映像)でのコンサートをする事になるのである。

そして、それ以降海岸名称は「 サザンビーチ 」へと正式改称された・・・・!だけではなく、市内至る所で「 サザン△×□ 」の改名バーゲンセールとなってしまった。サザンオールスターズが茅ヶ崎市へ与えたその功績、決して小さくはない。



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エクスプロージョン ・ チケット / 4

Explosion Tickets | Wings

このチケットを一目見て理解する方は、相当な「 ロック魂 」を保証する?

良くご覧になると御分かりになると思う、右側の入場半券は切り離されてなく付随したままなのだ、つまり「 未使用のチケット 」なのである。

先に云っておくが、個人的事情の為コンサートへ行けなかった、等と言う単純な展開ではないので悪しからず!恐らく直感の鋭い方であれば、既に頷いておられるであろう。

噂に違わず、「 予め予告された事件!」が起こっていたのだ。
と云うのも、前年`79年に来日の噂が広まった、しかしながら豪州での大麻所持発覚により、日本誘致は破談になっていたのだ。

   wings.jpg

1980年1月16日、「 彼 」は午後3時着のパンナム801便で来日し成田空港へ無事到着した、しかし空港税関で大麻不法所持の現行犯として逮捕され、身柄を中目黒の関東信越地区大麻取締官事務所に、移されてしまったのである。

結局暫くの間、日本・・・・・・いや違う?!入国してないから日本ではない・・・・・・「 別の場所?」に滞在していた。

本来ならば、司直の元で裁きを受けなければならない立場なのかも知れなかった、しかし数日間勾留された後、同月25日起訴猶予処分とされ国外退去と云う、外国著名人に対し多少甘い「 超法規措置 」となり、同日21:40発の日航機403便で、ロンドンへ向け強制送還されてしまった。

「 Rockupation`80 」のスペシャル・コンサートどころではなかったのだ。その当事者「 彼 」とは、ウィングスを率いていた元ビートルズ | The Beatles のベーシスト、 ポール・マッカートニー卿 | Sir James Paul McCartney の事で在った。

下記は個人的にファイルしていた新聞記事だが、過ぎ去ったトキを変色したセピアカラーが具現している。
               1980年1月17日付 朝日新聞      
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               1980年1月18日付 朝日新聞
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勿論、この事件により公演は全て中止となり、約10万枚発売された全国11回のコンサート前売券の払戻しが、音楽事務所により決定され18日付新聞に小さく( 上記 )掲載された。

しかし、私は前売り券の払い戻しには応じなかった!?
否、応じられるハズがなかった、返却したくない程大切なチケット( 冒頭掲載 )の理由は、1966年来日公演したザ・ビートルズ以来の「 待ちぼうけ!」であったからだ。

そして好きこそモノの「 知恵が!」働き、販売するはずだったプログラムも、有り余る程の在庫が在るだろうと推察し、購入交渉まで行ない何とか入手( 下記 )してしまった。
従って本来なら、今頃大変な希少価値となるはずだったが、残念ながら?!このプログラムは、暫く後に売り出されてしまったので、「 記念に 」と購入された方々もいらっしゃるだろう。
                幻と化したプログラムボックス
       wings-1.jpg

その後発売されたウィングス | Wings のLP楽曲中に、「 Frozen Jap 」とか「 Darkroom 」等の、拘留中を連想させる曲が発表されたので、拘留時の体験を元に作曲された云々在るが、調べると作曲されたのは`79年夏~秋頃の様なので、評論家達の思い入れが勇み足を誘ったのではないか?

そして大麻所持事件の約10ヶ月後、「 予め予告されない事件!」は起きてしまった、今からでも出来得るならば起きなかった事にして欲しい。

同年12月8日 元ザ・ビートルズのジョン・レノン | John Lennon は、狂信者の銃弾により N.Y ダコタハウス前で天に召され、レノン / マッカートニーの新・楽曲は永遠に聴けなくなってしまったのだ。

この様に俯瞰して眺めてみると、一つの時代とは「 そういう流れなのか?」・・・・、神様の砂時計!等勿論信じたくはないが・・・・。



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エクスプロージョン ・ チケット / 5

Explosion Tickets | Sadao WANATABE at Montreux Jazz Fes`75

海外のコンサート開演時間は、我が国比較でかなり違う。

俗に、「 エイツァーティ!?」と呼称される「 コンサート別称 」、ご存知方々もいらっしゃるのではないだろうか?

欧米コンサートは「 20:30 」頃から演奏始まるからなのだ、その意味アルバムタイトルも過去に在る、夭逝俊才!ジャコ・パストリアス | Jaco Pastorius が居たウェザー・リポート | Weather Report ・・・だった様記憶する。
習慣と云ってしまえばソレまでなんだが、要するに大人時間帯なのである。

ウェルカムバック「 サダオ・ワナタベ?!」
罪無き間違いコールから始まった、スイス・レマン湖畔 | Suisse Lac Leman モントゥルー・ジャズ・フェスティバルも、その例外ではなかった。
正式には`Montreux International Music Festival`と云う。クラシック・カテゴリーからスタートする期間中、私は Jazz week へ`75年と`80年二度も、「 追っ駆け 」 をして来た。

1975年スイス・モントゥルーは、渡辺貞夫カルテットと共に赴くツアーへ参加したのだが、当時メンバーはそれぞれ、p:本田竹廣 / b:河上 修 / ds:守 新治という、若いメンバー構成( 当時 )だった。
サダオ(ナベサダさんではない!)さんは、その時ライブを搭乗した航空会社名そのまま、スイス・エアー| SWISS AIR としてアルバム・リリースする事になる。

また、あい・ミュージック(現・鯉沼ミュージック)社長・鯉沼利成氏も同行した、後述するが氏には「 大きな目的と理由 」在った等々、こうしてスイス・レマン湖畔での、桃源郷モドキな 「 ジャズ漬け毎日 」 が始まった。

チケットは「 6日間通し券 」 を(169₣. スイスフラン / 120円 = 20.280円 )、ツアー代と共に日本で支払い、現地において下記 PASS と交換した。

            6日間通し券 | Festival PASS Ticket
        montreux_pass_sm.jpg

        montreux_pass_jazz_sm.jpg

このPASSには多少サービスも付いている。
コンサート会場が「 杮落し!」モントゥルーカジノ地下だった為、毎晩カジノ・バーでのワン・ドリンク券、そして昼間はプール自由券や蒸気船ショウボート乗船券、他にもプログラム&ポスターとカジノ博物館入場券等、付帯している。

そしてコンサートは夕方から始まり、毎晩深夜2時位まで各コンボが入れ替わり演奏をする。勿論、有名コンボの出番「 夜8時半!」頃からである・・・・・・。

その間、四六時中会場に居なくても良く、興味ない演奏時はカジノやレストランやバー等で、寛ろぐ事出来るよう配慮されていた。

と云うのも会場出る時には、透明インクのスタンプを何処か(私は手掌)へ貰って退出する。再入場時、押印された場所へ携帯式ブラックライト当てて貰う、すると蒼白くマーキング浮上しチェックする仕組みに成っているのだ。

そして6日間の演奏中、秀逸な想い出として残るのは、
`GALA NIGHT` オスカー・ピーターソン氏 | Oscar PETERSON が、ステージに再登場しアンコール演奏終了での余韻未だ醒め止まぬ時、グランドピアノ上げ蓋内へ大きな身体突っ込み、何をするのか?と思う間ピアノ張弦を指で「 シャ~ ン 」とアルペジオ!したのだ、その瞬間トキは止まったかの如く感じたが、拍手大喝采「 言わずもがな 」であった。

聴衆にとって 「 ソレ 」 は身体中・・・・・・否!脳内までの鳥肌モノを聞かせて貰った様思う。ところが彼は、全く何事もなかった如く聴衆へ一礼し、ステージから降りて行ってしまった。

また、最終日 `TODAY & TOMORROW` に於いて、
ビル・エヴァンス | Bill EVANS もやはりアンコール・クラップ後印象なんだが、おもむろに再度着座し奏で始めた曲は、ミシェル・ルグラン監督作品「 想い出の夏 | Summer of `42 」サウンドトラックだった。
ジャズ・ミュージシャン達が余り取上げそうもない楽曲意外性と、避暑リゾート・レマン湖 「 夏の想い出 」が重なり、コノ珠玉な選曲感性にはヤラレテしまった。

実はこの音楽祭を知るキッカケとなったのが、バイロンの詩で有名なシオン城 | Chateau De Chillon 借景にしたアルバム、Bill EVANS at The Montreux Jazz Festival なので在る、しかしこの時録音ではない。

         下記は通し券に付いていた、コンサートプログラム冊子
         montreux_jazz`75sm


スイス・レマン湖畔で行われるコンサートからは、我々も馴染み在る事象が生成されている、少しだけお知らせしておこう。

冒頭既出の鯉沼氏は、帰国後 「 あい・ミュージック 」 として興行思案を3年間重ね、湖畔の真夏ジャズコンサート参照し、田園調布に在ったテニスコート・田園コロシアムで、「 ライブ・アンダー・ザ・スカイ | Live under the sky 」 を `78~`80年までの3年間プロモートする事になる、事情によりその後は `よみうりランド・オープンシアター・EAST` に移転し継続された。

         live_under_the_sky`78sm


また、英国ハードロック界の雄 ディープ・パープル | Deep Purple 楽曲、「 スモーク・オン・ザ・ウォーター | Smoke on the water 」 は、1971年12月 モントゥルー・カジノ が火災になった模様を題材にしている。

フランク・ザッパ&ザ・マザーズ・オブ・インヴェンション | Frank Zappa & The Mothers of Invention のコンサート中に、観衆一部ファンがカジノ・ホールの天井に「フレアガン:照明弾 | Flare gun 」を発射、そのため火災となり施設全体が焼け落ちたのだ。

ディープ・パープルの面々は、翌日このカジノ・ホールでアルバム 「 マシン・ヘッド | Machine Head 」 をレコーディング予定だった、しかし宿泊するホテルから火災を眺めながら成す統べなく、呆然とするしかなった。

ハードロック史上最も有名なイントロ・リフを持つ「スモーク・オン・ザ・ウォーター」作詩は、その火災顛末をヒントに戯縮され`72年曲と共に仕上げられた。
その縁なのか?彼等は2006年まで頻繁にスイスを訪れ、モントゥルーでのコンサート興行をしている。

因みに、レコーディングは急遽場所変更しホテル内通路!で敢行され、ヒンシュクと共にだがローリングストーンズ・モービルユニット使用し、無事?録音出来たと聞き及んでいる。
           `75新装完成予想図のモントゥルー・カジノ
         montreux_casino`75sm



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