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デッサン ・ ド ・ ムジィーク / ハンブルグの邂逅

Dessin de musique | Come across in Hamburg.

「 トキ 」の伏流へ埋没している逸話、掘起こしてみたい。

未だデビュー前だった、ザ・ビートルズのハンブルグ巡業公演中(1959~61年)、ジョン・レノン氏 | John Lennon は、現地クラブでジャズ・コンボ観賞機会を持った、その折『 或るミュージシャン(楽器)』へ出遇い、音楽(楽器)暦上運命的な座標刻む事になる。

当時のジャズシーンはビ・バップ以降、1950年代後半~60年代中後期までハード・バップと称され、若手俊英プレーヤー頭角!比較的恵まれ、グローバルな隆盛極めていたのだ。

英国もソノ例外ではなく、注)ロニー・スコットやタビー・ヘイズ、グラハム・ボンド、ディック・ヘクストール・スミス等々、後のロック界へも多大な影響及ぼすジャズ・ミュージシャン輩出され、新興著しいアレクシス・コーナーやジョン・メイオール、エリック・クラプトン、ジャック・ブルース、ジョン・マクラフリン氏等へ、啓示与えるブリティッシュ・ジャズシーン先駆者多数存在した。
その様な時代潮流の中、プロ・ミュージシャン望む若きジョン・レノン氏も、モダン・ジャズ嗜好していたのであろう。

そう云われれば、映画「 ヤァーヤァーヤァー」プログラム内ジョン・プロフィール趣味欄、「 モダン・ジャズ観賞 」記述されていた旨、確かに記憶している。

さて、ハンブルグで邂逅した『 或る人 』とは、そんな欧州ジャズシーン活躍する一人、`59年当時ジョージ・シアリング・クィンテット、ギタリスト&ハーピストだったベルギー人、『 トゥーツ・シールマンス氏 | Toots Thielemans 』である。

ジョンは、氏演奏スタイル(ギター&ハープ)へ憧憬覚え、彼をリスペクトし影響を受けたようだ。
推量交え考察すれば、ギター「 フルアコ ・セミアコ 」主流時代のハズだ、従ってソリッド・ギター存在とソノ楽器使用者未だ珍しく、新鮮な感覚持ったのではないだろうか?時にジョン19歳 ・トゥーツ37歳、双方未知での遭遇だった。

     Rickenbacker | Come across in Hamburg 1959 ! ?
    lennon_thielemans-1959sm.jpg
     Mr,Toots Thielemans.      Mr,John Lennon.
        Combo400JB           325c58MG

やがて、ジョン自身も「 そのギター!とハープ 」へ傾倒してゆき、氏と同じメーカー・ギターを羨望し、インカム・バランス不相応だったようだが、「 分割購入!」でギター(品番別)入手、ブルース・ハープ( ホーナー社 | Hohner )と共に、愛用する様なっていった。
            
『 そのギター』と云うのが下記写真左側、リッケンバッカー社 | Rickenbacker、1958年製#325 メイプルグロー(ナチュラル塗装)、ショートスケール・モデルの米国製ギターだった。

ところがアートスクール出身のジョン、若い感性アンテナへ閃き感じたのであろう、ナチュラル塗装リッケンバッカーは、デビュー前1962年9月「 黒 」へと塗り替えられ、センスレスなコントロール・ノブも、「バーンズ | Burns 」製へ交換し、ピックガードも白色から「 金色 」へ、またテール・ピースも、既成 Kauffman Vid-rola から 「 Bigsby B-5C 」へ変更、全面「 リ・ニューアル」したので在った。

つまり、ジェットグロー色の新製品ギターを、ジョンはデザインしていたのだ。
現在カタログには掲載されてないが、衆目ご存知『 ジェットグロー #325c58 』現存する所以は、詰まる処ジョンの美的センスへ頼ったモノ!更に云えば、トゥーツ・シールマンス氏邂逅なくしては、在り得なかった?・・・のである。

       Coloring & Tail piece & Cont'l nob & Pickguard
                   change-over
        rickenbacker_325c58mapleglo_natural.jpg         rickenbacker_325c58jetglo_bigsby.jpg       
         '58-Mapleglo            '62?-Jetglo

上記写真は、「 ノブやテイル・ピース、ピック・ガード 」交換前(左'59年)と、交換及び塗装変更後(右'62年)の、Rickenbacker#325c58全体像、確かに「 ジョン感性 」理解出来るデザイン変更ではある。
また下記写真、ジョンにより取り換えられた、テイル・ピースの部分比較図。

                Tail piece change-over

      325c58_kauffman_vid-rolasm.jpg      325c58_bigsby_b-5c.jpg
       Kauffman Vd-rola           Bigsby B-5c


その後'62年11月、ビートルズ | The Beatles としてメジャー・デビュー!
時系列的な推察すれば、トゥーツ氏演奏からヒント得た事で、デビュー曲ラブ・ミー・ドゥー | Love me do イントロへ、ハープ挿入アイデア思いつき、取り入れたのかも知れない?
そして、1966年春エピフォン・カジノへの交換までは、「 黒いリッケンバッカー」がジョン・レノン氏トレードマークとなっていた。


注)
Ronnie Scott :サックス奏者、ロンドン市内著名ジャズクラブ・オーナー
Tubby Hayes :ロニーと並び称されるサックス奏者、他ヴァイブ、フルート等
Graham Bond :オルガニスト、バンド在籍後の著名ミュージシャン多数輩出
Dick Heckestall Smith :元コロシアム、管楽器二本咥える吹奏で有名
Alexis Korner :ブルース・ギタリスト、R.ストーンズへ多大な影響与える
John Mayall :ブルース・ブレイカーズ、ヴォーカル&キーボード&ハープ
Erick Clapton :元クリーム、ギタリスト&ヴォーカル
Jack Bruce :元クリーム、ベーシスト&ヴォーカル
John Mclaughlin :マハビシュヌ・オーケストラ、ジャズ・ギタリスト


※ 楽器掲載写真は、各社カタログより引用させて頂いた。


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航亜リポート / バリ島 1

Asian report | Bali island 1

デザイン業界用語だが、「 現地クリニック! 」ご存知であろうか?

クリニック | Clinic、「 診察・診療・臨床講義 」ご承知だと思う。
しかし業界では、建築及び内装・什器等建材や資材(家具・備品・調度品等)の、『 視察調査・審査・調達・購入搬送 』を目的に行う、現地訪問意味する。

特に海外・現地クリニックでは、以下大切である。
日本とは環境条件異なる場所認識を持ち、最初から否定的観点持たず、『 悪い処は見逃し、良い処を捜す 』心構え肝要となって来る。

調達資材(家具・備品・調度品)等は、「 雨曝し 」や「 埃だらけ 」だったりする、しかし審美眼と忍耐力備え持ち、「 埋没しているモノ 」見逃さない様一つ一つ丁寧に看てゆく必要が在る。
「 未完成品 」だったり「 半壊 」等していても、「 接ぎ木 」し埃やチリ掃い除け、「 磨き込み」オーバーホールすると、見違える様な「 アンティークやビンテージ 」へ、変身するモノ多数潜在しているからだ。

         
現地クリニック :バリ島の資材・民芸品・芸術品調査
アジアン・リゾート中、際立ったエキゾシズム漂わせるバリ島へ行って来た。しかしながら、ビーチ・リゾートとは全く無縁の業務渡航である、・・・・とは云え無念さ否定出来ないビジネス・ツアーだった。
毎朝、海岸へ背を向け!?「 アンティーク卸し 」や「 建材卸し 」、「 家具工場 」等の店舗集積する街路へ向かう、暫くすると路面へバラック仕立の建物数軒点在する場所、ソレが家具工場やアンティーク店だったりする。そんな宿泊施設と「 クリニック現場 」往復のみだった、リゾート始末記である。

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       bali_a.jpg bali_b.jpg
         bali2.jpg

         
1. 木材(アンティーク家具)関係
バリ島「 木製品 」にいわゆる南洋材存在する。しかし一般的知名度において、島中央部:標高2000m超級の高山地帯へ生息する樹木を、加工した木製品が主流となっており、主にチーク種やマホガニー種である。
しかし伐採直後チーク材は、伸縮、膨張率共高く家具材料への使用困難な為、古材ほど価値を持つのだ。また、材木として長期保管された製品も多くはなく、建築材料や船舶材料だった部材が、解体後「 古材 」市場へ出回っている。

温湿度高いバリ島だが、それら古材は家具・調度品に大変適しており、製作過程で無垢材質感を活かすステイン塗装施される色調の故か、「マット・ブラウン」とも総称されているようだ。
そして、それぞれ微妙に表情違う一面見せてくれ、自然木の持つ存在感と人工的には創作出来ない、素朴な風味が大きな特徴となっている。

尚、竹材家具・調度品も在り安価だが、しいて云えば「 フィリッピン 」を想起させる為、「 バリ島的イメージ 」として適切ではない様に思う。

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また、調達資材の修理人工代等、日本とは比較にならない価格だった!納期も「 デリバリー日数 」除外すれば標準的、・・・・だが交渉次第!でもある。


2. 建材(石材)関係
「 バリ砂岩 」が多く産出され、柔らかで加工しやすく、「水辺環境」には滑り止めとしても適しており、リゾート施設へ多用されているのだが、反面壊れやすい面欠点として上げられる。
宿泊先だったヌサドゥア、コンラッド・ホテル| Conrad Bali Resort & Spa のプールガーデン舗石(下記)も、350mm角「 バリ砂岩 」敷き詰めてあった。

         conrad_bali.jpg
         bali5.jpg
                
    ・大理石や御影石についても産出多く、安価である(約1/10以下)
    ・大理石 | Whitemarble. 500×500×10mm材 / 900円
    ・オニックス | Onyx. 20tより10t が高価である :光透過特質の為
    ・御影石 | Granite. 大きな(≒750×2000mm)黒御影、安価!
    ・石材加工場では、緑石・鉄平石紛いの石板・玉石・砂岩等、山積み!


3. クタ | Kuta.関係(界隈性)
ビーチ・リゾートから離れ観光客には縁がない、家具工場や民芸品・芸術品卸し街周辺には、「 服飾・雑貨・飲食店舗 」等殆んど見当たらない、だがバリ一番の繁華街「 クタ 」を訪れると、観光客相手に営業されるそれら店並み、軒連ね活況?呈していた。

街路には大きな商業集積施設も開発され、クラブやバーやカラオケ等入店している遊興施設多く、選別窮する程左右へ存在する。
また、家具店やアンティーク・ショールーム等も、メイン・ストリートへ多店舗見受けられるが、コノ地域では「 ツーリスト・メニュー! 」販売価格が設定され、我々コストとは全く合わなかった。そして、ビーチ・リゾート街並みにおいて、石材・建材店さすがに見当たらない。

         bali6.jpg
         bali7.jpg


4. デリバリー| Delivery 関係(出荷)
基本的に日本の港(倉庫)までは、船便・カーゴ | Cargo 搬送となる。したがって各地で調達購入した資材等は、一箇所へ集荷し検品する意味も在り、現地搬送会社倉庫へ持ち込み、梱包する事になる。
しかしながら、煩雑な法務処理も絡むシッピング諸々手配、容易には済まないと思う、出来れば現地詳細知る日本人エージェントへ、依頼される事推奨する。

そして倉庫内シッピング・エリアでは、「 2m×4m 」一単位として区切ったブロック(下記)設置されており、ソコへ梱包した調達資材を無駄なく積載試算してゆく為、パズルの如くカーゴ・シュミレーションするのだ。
基より「 嵩張るモノ 」ばかり、上手く積載出来るか否かについては、船便及び陸送コストへ直接影響出る「 カーゴ個数 」と、密接に関係する極めて重要な作業なのである。

終着地(日本)までの「 船舶輸送代 」及び「 陸送・倉庫費用 」等、総額含めると結構な予算必要である為、総括的な意味合いでは、「 購入資材数量 」と「 ロジスティック(輸送) 」の費用バランスを、考慮に入れた上「 現地クリニック 」されるならば、「 高質で風合い在る 」バリ島アンティーク、割安感と共にトレーディング出来るのではないだろうか?

         bali8.jpg



10:49 : アジアトラックバック(0)  コメント(0)

航亜リポート / 中華民国 1

Asian report | R.O.China 1

彼地へ初めて降り立ったのは、1988年12月クリスマス時期。

しかし台北市内繁華街、クリスマス・デコレーションそれ程見掛けず、ホテル内等インターナショナルな場所のみ、慎ましく「 リースやツリー装飾 」施されている程度なのだ。どちらかと云えば、行憲記念日(12月25日/祝日)装飾の方が、ホテル内でもメインだった様に記憶している、そしてホテル以外の街中等では、英会話殆んど通じなかった経験がある。

また、後に得た台湾近代史において、前年1987年まで総統府により台湾全土へ、「 戒厳令!」が布かれていたようであった、当時は無知で「 怖いモノ知らず 」戒厳令!解除直後だったのだ。

ソレから約20年、現在シーズンとなればクリスマス装飾も施され、英会話可能な若く優秀な人材も数多く存在し、当時台湾とは比較出来ない程、政治・経済・社会等多方面に渡り、近代化(民主化)進行され、変容顕著になってきている。

             taipei_hotel_christmas88.jpg
               中泰賓館 | Mandarin Hotel
                  Christmas in 1988

          

さて、そんな台湾へはソレ以来数限りなく、業務渡航して来た経緯がある。
しかしながら、現在まで無作為のままであった、したがって今編/1と次編/2に分けて、記述してみようかと思う、前者で「 総論 」後者は「 核論的 」に、得てきた経験や知識をデザイン的フィルター通し、多少リポート試みたい。

1. 国名等について
日清戦争後の下関条約上「 清 」から割譲され、第二次大戦終了まで50年間は(1895~1945)、大日本帝国・台湾県だった。
1949年以降「 中華民国 | Republic Of China 」として存在するが、オリンピック等国際的なスポーツ関連では、「 チャイニーズ・タイペイ 」を称し参加している、別称『 臺灣 | Taiwan 』でもある。

『 タイワン 』は一省名だが、グローバルな広範識名となり「 中華民国 」正式称、日本社会だけではなく各国共、馴染み薄いかも知れない。
因みに、欧米では戦前からの名称「 フォルモサ | Formosa 」を、現在も使用している国々数多く存在するようだ、これは16世紀大航海(殖民地)時代名跡でもあり、ポルトガル語「 美しい 」が語源となっている、したがって漢語において「 美麗島 」とも書くのである。

また両中国!共、道教思想(老子)浸透したお国柄、「 本音と建前 」が微妙な均衡保ち、陰陽・虚実・表裏など一体化し、政治的或いは社会的に共存しているようでもある。先進各国との国交承認されていなくても、非政府組織通じて外交行うなどは、表裏一体の良い例なのかも知れない・・・・?


2. 行政区分について
他国の微妙な問題に介入する積もり、毛頭なく事実のみを記述する。
既に形骸化している政治的位置付けだが、「 中華民国 」憲法の行政区分上(建前!)、首都は現在でも『 南京 』なのだ、1948年以降「 蒋介石・国民政府 」の臨時遷都により、南京から広州・重慶・成都・台北(1949年12月7日)順で移転し、それぞれ首都とされて来た場所である旨、御存知の方少ないと思う。
        
           Political_divisions_of_the_Republic_of_China(Taiwan)1.png

しかしながら2003年以降は、教育現場や実効支配土地図等における「 コノ情報 」発信、微妙な処理になって来ている、との事である。


3. 公用語について
「 北京語 」と呼称される標準語が、一般的な流通語である。しかし、その他福建省南部の「 閩南語:ミンナンゴ 」 や 「 客家語:ハッカゴ 」、そして「 先住民語 」等持つ多言語国家の為、TV視聴時ではどのチャンネルも、画面内へ必ず漢字幕スーパーが入る。


4. 総人口等について
2009年現在、実効支配地の総人口約2.300万人。
その内訳には多少特徴があり、まず「 漢民族 」 と 「 先住民族 」へ分けられる、そして漢民族も「 本省人 」 と 「 外省人 」存在する。国民全て「 省籍 」を持ち、ソレにより「 本省と外省 」呼称が存在するのである。

本省人:1945年以前から、台湾島へ居住する漢民族。また本省人においても、
     「 福建人 」 と 「 客家人 」へ分かれる。(広義には先住民族も含む)
外省人:1945年以降、中国本土から台湾島へ移入して来た漢民族。
     政治的には約15%の少数派外省人が「 国民党 」として、1996年国民
     直接選挙まで多数派本省人を、支配する構図存在した。    
        
しかし現在、国民党の「 一党独裁 」過去となり、政治的には民主化路線が進み、省籍や先住民族問題も、若年世代での婚姻や恋愛等通じ交流促進し、解消されつつ在る様だ。
    taiwan_population_2000.png

このグラフ検証すると、将来(約15~20年後)「 団塊高齢化 & 少子化 」による、我国同様の諸々課題懸念される、良き反面教師存在するではないか!?問題化する前に国家的対策講じるべきであろう。


5. 交通体系について
10年程前までは、他都市への移動別にし「 バス・タクシー 」が移動手段主役担い、普段台北市内アクセスとなると、比較的割安感在るタクシー乗車大変便利だった、但し「 運転マナー」 と 「 ピーク時料金システム(交渉)」除けば・・・・。

そして現在では、市内及び近郊アクセス・ライン「 M.R.T | 都市交通システム 」も、既に6路線網整備されており、その上本年度初頭「 独・仏・日 」各国技術協力の基、「 台北~高雄間 」開業漕ぎ着けた、超高速鉄道・時速300km!「 台湾高速鉄道(台湾新幹線)」も加わっている。

早速乗車してみた感想は、日本新幹線より横揺れ少なかった?と思う、その折情報を挙げておく、「 台北~左營(高雄):345km」間の、所要時間は「 1時間36分 」、普通料金1.265NT(約3.750yen)。
今まで、高速道路利用(車)の場合、約5時間掛かった所を・・・・。

下記写真、丁度20年前のクリスマス時撮影したターミナル周辺、既に存在しない手前/旧台北駅舎(木造建築)と、向側/新台北駅舎(工事中)である、現在この新駅舎地下プラットホームへ、始発新幹線やM.R.T が入両して来る。

88taipei_station.jpg
  新・旧台北駅 | Taipei station`OLD & NEW` in 1988 Christmas.


                                続く | To be continue.
       

13:39 : アジアトラックバック(0)  コメント(0)

航亜リポート / 中華民国 2

Asian report | R.O.China 2

前編/1は、初渡台に絡む概論的な台湾骨格を述べて来た。

云ってみれば公的情報へ近い内容だった為、「 先刻御承知の方々」も多くいらっしゃったのではないだろうか?
今編/2では、もう少し身近へ踏み込んだ台湾的私空間、例えば知己を得た「台湾の人々」に纏わる逸話とか、「 ガイジンとして垣間見た 」感想や、「 空間デザイン業務 」絡み等、プライベート情報整理しつつ記述させて頂くつもりだ。


1. 通訳さんについて
渡航業務時、勿論「 通訳氏 」介しコミュニケーションするのだが、この国際的職業は諸外国含め、「 女性担当 」ケース多いようである。御多聞に洩れず、台湾も例外ではなく若い女性達現れる、ところが現地通訳嬢の会話する日本語、大部分と云っても良い程、「 男性語!」使いこなすのだ。

ご存知大和言葉には、「 女性専用語 」在る、だが彼女達通学した日本語学校カリキュラム内、「 女性語科目 」存在しないのだろう。従って、日本語特有の「 大和撫子 」口語体、「いいわ!」・「そうかしら?」・「そうよ!」等々、会話可能な通訳嬢へ会える機会極めて少ない。

しかしその様な状況関係なく、学生達の日本語学習人気依然高く、各大学でも専攻する若者達多い旨、聞いている。
多少のニュアンス相違在るとしても、我国で云うならば英語力身に付け、海外留学志望する動機へ、近似しているのではないか?また、伝播する訳でもないのだろうが、最近では「 美國 :アメリカ 」への憧憬から、英語学習人気に多少圧されがちなんだそうだ。


2.「 業務方式 」 と 「 意匠 」の相関関係?
独立心旺盛お国柄なのか、「 老板 | ラォパン | 社長 」が多い。
渡台時、ガイジン・デザイナーとして迎賓されているとは云え、現地プレゼン必ず最終決裁者との会議になる。したがって、トップ・ダウン決済される機会多く、日本企業お得意「 組織(村)社会システム 」、稟議決裁書等でボトム・アップしてゆく方式との比較では、デザイナー側意見として前者が余程良い!
         
トップ・ダウン方式「 長所 」は、経営者感性を直接咀嚼でき、且つ方向性策定速やかな為、迷い少なく純粋フォルム導き出せ、機能(経営的)と形態(意匠的)を感覚で結合させ易く、創造性俊逸な意匠へ仕上げられる。台湾における建築やインテリア、旬デザイン多く豊穣である所以なのだ。

         taiwan2b_taipei101.jpg
               臺北國際金融大樓 | Taipei 101

ボトム・アップ方式「 短所 」は、職責順に成果物上奏される為、その都度チェックが入り修正してゆく事になる。「 統合されていない多意図 」の依頼では、咀嚼する内徐々に近似値から乖離し、決裁者提案時には無難で平坦!な意匠へと、変容してしまいがちだ。

デザイン業務、元より「 感性 」比重高い作業、「 絶対値:解答 」がない。
我々作成するプレゼン初期イメージは、模範策定解答に過ぎないのだから、決済速度早ければ策定作業煩雑にならず、その分解答(近似値フォルム)への近道となる。デザイナー・モラルやモチベーションも、下げないで済むのだ。


3.騎楼 | チーロゥについて
または「 亭仔脚 | ティンァカー 」とも云う、台湾街中到る所存在する建築様式。
各建物1階ファサード(店頭) | Facade が、道路から約3m程セットバックして造られ、あたかも「 アーケード通路 」或いは、「 屋根付歩道 」の如く機能させているのだ、因みに「 騎 」=馬に跨る、「 楼 」=民家の意。
建築ルーツは、対岸の中国・福州や泉州等に現存する古式木造建築で、この地域からの渡台人達が、本土様式を持込み建造したと言われている。また、華僑進出等により東南アジアへも、この特徴散見出来る。
    
少し以前になるが、スイスでも見た「 ラーベン | Lauben 」呼称される、雪避回廊の建築様式想い出し、現地知人へ「 騎楼意味 」聞いてみた事がある。

平和ボケした我々日本人は俄かに信じ難いのだが、中国本土とは臨戦態勢である為、空爆或いはミサイル爆撃時の爆風や破壊力から、人体守護を目的にするらしいのだ。より詳細確認すると、地下防空シェルター入口は適所存在し、そこまでの避難路機能を設置する法律義務( 台湾家屋建築規則 )がある等々、物騒な話題になってしまった、真偽定かでないとしておこう。

現在では!ソレ以外にも目的が在り、南国台湾夏季温度も40℃程となるし台風も多い為、「 熱射 」 や 「 降雨 」 対策において、商用や歩道等の平和利用!されるのであろう。また、不勉強で恐縮なんだが我国豪雪地帯にも、伝統的風土に培われた類似様式、存在するのではないか?

    taiwan2a.jpg
      店頭           騎楼                道路

敢えて設計的視点講ずれば、公共空間と商業空間そして住居空間混在する、極めてオリエンタル・ムード溢れる建築様式である。


4. 好日族について
最近の台湾トレンド・ヴァリューとしては、「 好日族 | ハォ・リィ・ズゥー」、既に過去用語なのかも知れない。

意味する処は、彼等の多くが「 過去日本国籍だった!祖父母 」を持ち、且つ「 親日的なヤング・ジェネレーション 」、という特徴合わせ持っている。そのヤング層達が、「 和式流行創造 」へ多大な影響与えている為、ニッポン・ブランド!「 受け 」が良いのだ、ゲーム・漫画・ファッション・芸能人・ラーメン等々、然りである。

祖父母達はと云えば、現在も所作振舞い和的発想を持ち、綺麗で流暢な日本語駆使する、しかし歴史的不幸なのか、母国語にも拘らず中国語が不得手という環境の中で、複雑・微妙な日本への愛情持ち合わせており、十分理解して差し上げなければない高齢者層なのであった。


5.知られざる日本人
現在も、この地で敬意され慕われている「 戦前日本人 」が多く存在している事、殆んどの日本人は情報持ち合わせていない。

「 八田與一 | Yoichi Hatta 」氏、御存知の方多くはないと思う。
日本統治時代、氏は土木技師として台湾南部「 烏山頭ダム 」の建設に尽力し、台南と嘉義を一大農業肥沃地帯へ変貌させた。
ダム建設で、治水及び農業水利事業へ多大な貢献をしただけではなく、それまで「 雨期泥沼・乾期旱魃 」繰り返す、亜熱帯の嘉南平野一帯は、頻発する疫病により人畜被害甚大だった状況をも、治水事業介し医療不毛一変させたのである。

            taiwan2c_tainan_yhatta.jpg
           「烏山頭ダム」見下ろす高台の建立銅像

しかし、完工12年後の1942年5月8日フィリッピンへ派遣途中、輸送船爆沈により殉死している。また、氏伴侶「 外代樹 | Toyoki 」夫人は終戦時(1945年)引揚げず、「 烏山頭ダム 」へ投身自殺されたのだ。
その後、美談として語り継がれ毎年5月はダムで慰霊祭行われる、そして当時居住官舎も今日まで保存され、記念館になっている。

神様!へ昇華し祀られている方々もいらっしゃる。
・台南市「 鎮安堂・飛虎将軍廟 」
「 杉浦茂峰 」氏、日本海軍戦闘機パイロット兵曹長、1944年台湾沖航空戦で台湾島を米機爆撃より守る為、島民見守る中「 体当たり 」敢行し殉死。
・嘉義市「 富安宮・義愛公 」
「 森川清次郎 」氏、地域担当の日本人巡査だったが、貧しい現地村民へ課された税の減税、当時政府へ嘆願し直訴自決。

・・・・・等々枚挙に暇がない程だ。



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モールズ・モノローグ / 8

Mall`s monologue | モールの独り言

台北101モール :TAIPEI 101 Mall
古今東西「 国(権)」 は 「 民(衆)」へ、先進国力を誇示或いは証明する為、「 頂点称号 」得る努力しがちだ。

2004年大晦日竣工時、高層世界一(509.2m)呼称誇示する、「 台北国際金融センター・台北101 」は、そんな国の努力賜物で在った。しかし、国威発揚も束の間で終わり、ドバイ「 ブルジュ・ドバイ | Burj Dubai 」に、2007年その座を追われてしまったのである。

ところが、ブルジュ・ドバイもソノ座は、暫くの間しか望めないのだ!
米国ウォール街発の金融システム崩壊は、ドバイ | Dubai もソノ波及から逃れられなく、超高層建築計画含む諸々変更予定されている為、ブルジュ・ドバイ「 ソノ座 」へ多少留まる様である。しかしながら、建築計画ドバイだけではなく地球上各地で、「我こそ・・・!」を狙って進行しているのだ。
   empire_stb.jpg        taipe101.jpg       Burj_dubai.jpg
  Empire st.bdg        Taipei 101         Burj Dubai


さて、「 臺北國際金融大樓 | TAIPEI 101 」
計画主体は、台湾政府と民間企業14社の第二セクター開発である。
国力証明する故なのか?設計者はローカルへ発注され、「 李 祖原 」建築設計事務所が総合建築計画担当し、建設施工は「 熊谷組 + ローカル建設会社 」による国際 J.V 編成にて、1999年着工された。

工事期間中「 地震トラブル 」等存在したが、5年後台北市信義地区へランドマーク・タワーとしての威容誇り、オフィス・商業エリア・展望台・等備えた、「 超高層複合ビル 」建立されたのである。
因みに概要は、総高509.2m ・地上101階 ・地下5階。

そして「 台北101モール 」は、国際色溢れる店舗や商品揃えた大型商業施設として、超高層建築内B1F~5Fの6層階へ入店している。

国の威信掛けた商業施設だけあって、モール・エリアやパブリック・スペース環境等を、巨大吹抜空間へスキップ・フロア| Skip Floor の如く展開させ、到る処で各空間ジョイントするブリッジ点在し、高所恐怖気味の方は訪問遠慮されるべき?と感ずる程、縦方向 | Vertical 意匠際立つモール空間なのだ。

そしてヴァーティカル!エリアは、クラシカル・エレガンス調で設計された吹抜け | Void 空間が、極めてゴージャスな「 力感と質量と高度 」併せ持ち、他に比類無き大迫力備え、我々を迎えてくれる施設なのである。

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 taipei101_b.jpg taipei101_c.jpg
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               Photo 20070411 Sunny


商業施設総床面積 :185.806㎡ | 56.206坪
館内駐車場 :1.850台、オートバイ:3.045台
館外駐車場 :7.000台
テナント数 :約200店舗
運営事業主 :台北金融大楼股份有限公司



14:37 : 商業施設トラックバック(0)  コメント(0)

エクスプロージョン・チケット / 7

Explosion Tickets | Bill Evans

ジャズ入門は「 どういう訳か?」ピアノ・トリオからだった。

「 どういう訳か?」と言うのは、少年時代ビートルズ影響から楽器へ目覚め、挙句クラシック・ギター科受講し、卒業までしていたからである。
正式教育受講理由は、ポピュラー音楽の我流演奏技術や知識では、「 ボサノバやジャズ 」楽曲演奏する上で適さず、多種在るコード| Cord 理論解するにも難儀した、年齢と共に音楽性も成長し向上心在ったのだ?

ジャズ・シーンは時あたかも、マイルス・ディビス | Miles Davis 等による、コード奏法からモード奏法へ、バップからクールやフリー・ジャズへ、そしてアコースティックからエレクトリックへの移行期だった。
恐らくソンナ時代の影響下、音楽理論基礎の「初級編辺り」多少触れただけにも拘らず、生意気にも「 モード | Modal 」 や 「 スケール | Scale 」理解した?つもりになり、ギターではなくピアノ聴きだしたのかも知れない。



ビル・エヴァンス | Bill Evans 氏音源出会いは、以前にも書いたLP購入時、初心者拠り所として活用していた、スィング・ジャーナル誌『 ジャズ・ディスク大賞 』、下記金賞アルバム「 At The Montreux Jazz Festival 」から始まった。

それ以降、コレクションした覚え無いものの嵌ってしまい、氏アルバムは結構な枚数(LP)所蔵するハメになる。
また、このジャケット・タイトルシーンが心象風景として残り、後年「 シオン城 」存在する町で開設されるジャズ・フェスティバルヘ、渡航するモチベーションになるなどとは、購入当初夢相だにしていない。
      
      be_chillon.jpg      be_tokyo.jpg
        `68Montreux live          `73Tokyo live

ところで、モントルー・ジャズ・フェスティバルに関して御興味在る方は、当ブログ音楽カテゴリー内「 同タイトル/ 5 」を、参照して頂ければと存ずる。
したがって今編では、『 ビル・エヴァンス・トリオ初来日コンサート 』の模様、記憶と記録辿りお伝えしたい、しかしながら1973年正月まで遡る事になる。



正月気分も多少薄れた1月20日(土)、東京芝公園の郵便貯金会館(現メルパルクホール)、コンサート当日は実況録音セッティングされ、ライブ・アルバムも残っている、ソレに該当するジャケットが上記右側「 赤いLP 」だ。
海外でも発売されたこのアルバム、国内版とはジャケット・デザインを異にし、上部「 扇状カタカナ部分 」無く最下段へ英文字のみの為、識別可能なのである。

さて開演前のホール見渡せば、音響効果考慮した意匠施され、両サイド壁面は木質系中間色が映え美しい、また約1600席(2階席含)在る座席は、比較的ユッタリな着座感とステージ・ビューも悪くない、座席からステージ床面観察出来、やはり木質仕上げとなっていた。
舞台装飾は、下記チケット・ロゴ・ダイカットをステージ背面吊下げのみ、タイトル以外「 グランド・ピアノ 」と必要最小限の「 ドラムセット 」、そして「 コントラバス 」だけが、慎ましく配されたアン・プラグド | Unplugged な光景に、ロック・コンサート慣れしている私は、木綿感覚!の新鮮味覚えたのだ。

やがて、プレーヤー現われ演奏が徐に始まる。
普通?ココで照明変化在るハズ・・・・なんだが、ライティングも「 木綿感覚 」なのであろうか?調光もされず「 音無しの構え!」だ。
演奏は序章から展開へと進行してゆき、エヴァンス氏の『 耽美的なピアニズム、リリシズム溢れる美韻、鉱物質の美音 』が佳境へと導いてくれ、快演に魅了されつつ音塊体感を最後まで楽しめた。

そして印象残るのは、新楽曲「 T.T.T.T.T 」等のピアノ奏法チャレンジした影響なのか?インプロビゼーション難解さ多少感じた事と、ドラムス担当がジャック・ディ・ジョネット | Jack de Johnette 氏から交代していた事、残念ながらアンコールまで待った甲斐無く、「 ワルツ・フォー・デビー| Waltz for Debby 」が演奏されなかった・・・等々。

また我々のシート、「 控えめな!P.A 」へ比較的近く斜め後方だった為、ダイオード点滅詳らかに見て取れ、参照しながらのライブ大変興味深かった。

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                  Piano:Bill Evans
                  Bass:Eddie Gomez
                 Drums:Marty Morrell

後に知った事だが、当局の「 ビザ許可 」漸く下りた来日時、薬物療養施設から快気直後だった様でもある、・・・・にも拘らずその後再度薬物依存し、中毒症状が才能や家族含む本人運命を、決定してしまったようだ。
天召された1980年9月15日は惜別し難い、死因は「 肝硬変・・・」享年51歳。

残念ではあるが、駄作少ない生前作品に魅了され、現在でも多くの(私含む)ファンから愛聴され続けている、因みに来日は`73年・`74年・`76年・`78年、都合4度へ及ぶ。




12:27 : エクスプロージョン・チケットトラックバック(0)  コメント(0)

デッサン ・ ド ・ ムジィーク / シオンの虜人

Dessin de musique | The Captive of Chillon.

英国詩人「 バイロン | G.G.Byron 」御存知であろう。

表題は、彼の叙事詩「 シオンの囚人 | The Prisoner of Chillon 」へ、多少捻りを加えさせて頂き、「 虜人:トリコ 」に書き換えたものだが、「 魅了された者 」と囚人、意味する境遇天地程相違する!
1816年発表されたこの文学作品は、シオン城 | Chateau de Chillon 地下牢へ幽閉された、16世紀ジュネーヴの宗教改革者フランソワーズ・ボニヴァルを、称賛し謳ったものである。

そのシオン城、現在もスイス・モントルー近郊レマン湖畔へ、悠々と佇む。
「 シオンの囚人 」、「 シオン城詩 」の舞台、そして文学だけではなく湖畔景勝地としても広く知られ、世界中から観光客が訪れている。
城から徒歩20分程で、ジャズ・ファンには知名度在る街、モントルー| Montreux 市内へ入る、毎夏インターナショナル・ミュージック・フェスティバル銘打ち、音楽祭が催され衆目集める場所なのだ。

実は、この城を借景にした著名ジャズ・アルバム存在する、「 モントルー・ジャズ・フェスティバルのビル・エヴァンス・トリオ 」、下記右側ジャケットである。
ビル・エヴァンス | Bill Evans 氏、シオン城に魅了されたのか演奏訪問は、過去4度在るようでその都度ライブ盤制作されている、その内1968年録音された初訪問アルバムが、ソレに該当する。

         ・1968年:At The Montreux Jazz Festival
         ・1970年:MontreuxⅡ
         ・1975年:MontreuxⅢ
         ・1978年:B.Evans Trio with Kenny Burrell

      be_duo.jpg     be_chillon.jpg
            1975                 1968



さて、1975年7月20日は音楽祭最終日、出演ミュージシャン達は順追って、アンソニー・ブラクストン・カルテット、そしてアンドリュー・ヒル氏ピアノソロ、続いてチャーリー・ミンガス・クィンテット演奏後、「 大トリ 」出番のエヴァンス氏とエディー・ゴメス | Eddie Gomez 氏デュオ、私は運良く着座する機会へ恵まれたのだ。

その折演奏では、チャレンジされていた電子ピアノ( シンセではなく )聴取出来た上、デュオ・インタープレイがシンデレラ・タイム越えて尚続き、聴衆も二人の演奏へ魅了され虜となってしまったようだ!

アンコール曲が、ミシェル・ルグラン監督「 想い出の夏 | Summer of 42 」からのタイトルチューン、「 The Summer Knows 」奏でられた瞬間!時停刻印モード作動し始め、涼夏湖畔リゾート演奏シーン、生涯想い出へ昇華した。
後に、このステージは「 モントルー・ライブ | MontreuxⅢ 」として、上記左側アルバム制作される。

そして音楽祭全演奏も終了し、「 後ろ髪引かれる思い 」の深夜帰路、モントルー・カジノホールからホテルまで、足元舗石を仄かながら明るく蒼射する満月影響なのか、満ち溢れた充足感へ「 晴れ晴れ!」・・・・、とメモされた。

深夜デュオ、タイトル 『 シオンの虜人 | The Captive of Chillon 』、錆びついた過去心象メモから思い起こし、「 城 」を背景ではなくエヴァンス氏と和合?させつつ、「 満月夜の狼男 」如き虜イメージ模索し、描き上げたエスキース・デッサン下記へ掲載させて頂く。
               
evans_gomez_duo75.jpg
                Piano :Mr,Bill Evans.
               Bass :Mr,Eddie Gomez.

師匠マイルス・デイビス| Miles Davis 氏から、お褒めの言葉が残されている、『 ビル演奏には、如何にもピアノという感じの、静かな炎の様なモノが在った 』
本名 :ウィリアム・ジョン・エヴァンス | William John Evans.



21:10 : デッサン・ド・ムジィークトラックバック(0)  コメント(2)
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