航亜リポート / 上海商業施設 2

Asian report | Restaurant in Shanghai 2

瑞金賓館 | Rui Jin Hotel は、上海市内中心地区へ立地する歴史上著名な建築物である、その敷地庭園内へ別館も数棟存在し、その中には嘗て国民党に接収された際、蒋介石氏と宋美齢氏御夫妻住まわれていた館も現存している。

そして庭園内別棟中、旧四号館は戦前三井財閥所有の建物(三井ガーデン)で、現在上海含めアジアへの出店著しい、フェイス・グループにより内装デザインをレストアされ、高級エスニック・レストランとして営業している。
配膳されるキュイジーヌ内容も、北部タイ料理や北部インド料理そしてフェイス・バーとヴィサージュ・カフェ等が入り、それぞれ趣き在るインテリア環境創造され、食事と共に視覚的な情緒が楽しめる。

四千年!味覚と山海の幸へ恵まれ調理された、本場中華グルメも美味で申し分無い、しかしながら毎食では多少食傷気味と思う方在れば、無国籍エスニック料理も悪くは無いであろう。
「 野菜サラダの如き 」優しいサッパリ感と共に胃を迎えてくれる為、異国での緊張感を多少弛緩させられ、身体バランス保全上良い様に思う。

「 フェイス| Face 」の施設空間デザインは、ゴージャスでエレガントな異国情緒醸し出す意匠と、家具やプロップス(装飾物)設え、且つプライムタイム表現したのであろうか?「 ポジティヴな暗さ 」中空へ漂い、ソノ奥行感が隣席との領域暗黙にスミ分け、意外な距離感保つ客席レイアウト、見事成功している。

また、飲食空間の環境創造において、家具・調度・備品等を適材適所ポジショニングする大切さ、今件視察から改めて強く感じた。
それらは、環境イメージ決定付ける「 装置としての力量 」充分持ち合わせており、特にテイスト・イメージや風合い等醸し出す必要在る際には、ソノ存在感発揮し大きくモノを云ってくるのだ。
そしてデザイナー本人審美眼で、選別購入のフィルタリングする事も重要である。

           `FACE` Exterior & Facade Night-view.
      shanghai-face.jpg fa01.jpg
     fa02a.jpg
     fa03.jpg     
          `FACE` Interior & Table Communication.

夕食は北タイ料理ではなく北インド料理だった。食前酒で会話弾んだ頃合、5原色の各種カレー・スパイス(黒・白・赤・黄・緑)入った小容器5個乗せた、スティック野菜付きプレートが各人テーブル前へセットされる。

そしてスープとグリーン・サラダから始まり、途中ナンもパスタも在りメイン肉料理と云う、北インドのキュイジーヌ・コースは、スパイシーなサッパリ感!がインターナショナルなホテル・ホスピタリティと相交わり、好感持て胃心地良かった。

また、オーダー時スパイシー度合も嗜好でチョイス出来るのだが、私は「ノーマル味覚 」を選び適度だった為か、特段違和感なくスンナリ味わう事出来た、お勧めしておこう。


※ 当方の撮影技量未熟さと器材不案内も在り、大人時間表現した「 ポジティヴな暗さ!」の臨場感写し撮れなく、不鮮明画像である旨お詫びする。

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デッサン ・ ド ・ ムジィーク / 毒針の精密度

Dessin de musique | Precision of sting.

お気付きかも知れないが、タイトルは敢えて違訳してみた?!

ロック通!方々ならば、鋭く「 感 」働かせ既にお判りであろう、意図した本来和訳は『 スティングのプレシジョン 』、英文直訳で良かったのだ。しかし、フェイク加えた表題『 毒針の精密度 』も、間違いではなく正しい和訳であり、英文語彙のレトリック利用した「 コトバ遊び 」をしたのである。

スティング | Sting 」とは、勿論ロックバンド「 ポリス| Police 」ベーシスト&ヴォーカリスト「 愛称 」指し示すのだが、彼のニックネームは他に「 針刺す・毒牙・皮肉る・欺むく・騙し取る 」等、別意も存在していた。

そして「 プレシジョン | Precision 」は、米国フェンダー社のエレキ・バスギターを意味する。つまり表題へは、『 スティング氏抱えるプレシジョン・バスギター』、と云う意味も併せて言い含められているのだ。

ところで、プレシジョン・バス販売開始された1950年以前も、同系楽器販売され存在していた様であるが、当時エレキ・バスはコントラバスの先入観からか、「 フレットレス!ネック 」として製品化されており、ソノ仕様は押弦ポジション難しくし、音程「 不正確!」で敬遠されがちな楽器、と烙印押されていた。

フェンダー社はその様な時代潮流の中、コントラバス抱え地方巡業するミュージシャン達へ、「 運び易さ 」だけではなく「 弾き易さ 」プラスした、フレット付!モデル『 プレシジョン=正確 』と命名された新製品売り出し、当時画期的だった事も在り大好評を得られ!歴史的楽器となるのだ。
そして、約60年後の現在マイナーチェンジ在るも、カタログ掲載され販売継続している長寿モデルでもある。


さて、『 正確 』以外にも「 精度・精密度・正照準 」等、辞書へ載る。
したがってスティング氏素描した、『 Precision of Sting | 毒針の精密度 』意味する処は、プロテスト・メッセージ濃厚な作詞内容や社会運動支援活動等を、精度高い刺針持つ「 蜂 」へ例えさせて頂き、サブタイトル『 スティングのプレシジョン 』と共に、下記エスキース完成した。(部分図)

          Precision of Sting :Whole size click here.
   precision_sting_03sm.jpg     
                Bass:Sting.
               Guitar:Andy Summers.
               Drums:Stewart Copeland/Mr,


スティング氏最近ステージでは、殆んどフェンダー社`51年製プレシジョン・バスをストラップしている、所謂「 O.P.B / Original Precision Bass 」称される旧モデルだ、カテゴライズ上`51~1957年製までをソノ様に呼称し、後期モデルとはスミ分けされている。また、白ピックガードも外してしまい木肌無垢のままだ。

詳細は別として、ビジュアル的な「 ソノ違い 」容易に判断出来る、例えば「 ネックヘッド 」は同社ギター・テレキャスター型なのだ、それ以外にも「 コントロールノブ・ピックアップ・ブリッジ・ジャック位置 」等、異部は一見してソレと判る。

また、スティング氏の生年月日は1951年10月2日、奇しくもプレシジョン・バス発売(誕生)と同年同月である、御本人意識しているのかは不明なんだが、偶然では無いのかも知れない。

             FENDER | Precision Bass series.

       sm_precision51_sting.jpg            sm_precision09_standerd.jpg
   O.P.B / `51 Sting model       `09 Standard model


本名 :Gordon Mattew Thomas Sumner.CBE(大英帝国叙勲)
ビートルズ叙勲`MBE`比較では、ニ階級官位上の`CBE`叙勲者だ、したがって本来は「 サムナー卿!」と敬称付けなければならないハズ、だが馴染み在る愛称「 スティング 」での記述を、勝手ながらお許し頂こう。

活動暦遡りベーシスト修行時代、幾多のジャズ・セッション参加し鍛えられた所以だろうか、その奏法はジャズ素養溢れるリズム・ラインから、スタイリッシュで力強く!緊張感溢れた「 間 」を弾き出し、バス奏者ながらリズム・セクション逸脱する、印象的な「 調べ 」併せ持っている。
またステージ演奏以外に、映画サウンド・トラックへの楽曲提供や、グラミー賞受賞者常連!等、作曲や編曲等へ多彩な才能も発揮しているのだ。

更に、カテゴリーへ拘らない活動も多岐へ亘り、約8作品の映画出演において「 俳優 」として好評博しており、その上熱心な「 社会活動家 」としても著名で、亜熱帯雨林保護活動やアムネスティ等の運動支援している。

そしてスティングは勿論芸名、未だポリスとしてデビュー以前だったが、黒黄ストライプ・ステージ衣装着用時、その配色から「 蜂 」イメージ称され、「 鋭角な作詞内容 」とも相乗し、付けられた仇名が『 Sting | チクリと刺す 』だった。
因みに、ポール・ニューマン&ロバート・レッドフォード両氏主演の、ハリウッド同名映画`STING`は「 欺むく・騙し取る 」を、意味したタイトルである。



※ 暮々も申し上げておきます、ミュージシャンが昆虫イメージだと云う訳ではない
  ので、ご理解下さる様お願い致します。
※ 楽器掲載写真は、各社カタログより引用させて頂いた。


00:22 : デッサン・ド・ムジィークトラックバック(0)  コメント(0)

デッサン ・ ド ・ ムジィーク / 不滅の舞踏

Dessin de musique | Never end Dancing.

ボーイズ・ソプラノの頃から、「 歌い・舞う 」姿へ魅了されてきた。
想えば幼馴染みの如く、常に身辺へ居在していた様な錯綜覚える、アイドルとはその様な仮想現実感なのかも知れない。

音楽業界において古くから「 DNA グループ 」は、カテゴリー問わず数多く輩出され活躍して来た経緯が在る。米国でもミルス・ブラザースやビーチボーイズ、日本も例外ではなくザ・ピーナッツやこまどり姉妹、そしてフィンガー・ファイブ等、各国音楽業界「 枚挙に暇がない程 」、業界賑わした痕跡残している。

マイケル・ジャクソン| Michael Jackson 氏も、父親管理する「 ジャクソン・ファイブ| Jackson 5 」称される兄弟グループからだった、実兄ジャーメイン氏含むツイン・ヴォーカルの1人として、デトロイト市モータウン・レーベルから、1969年10月芸能活動スタートした。(11歳)

時日経過する内、彼の音楽性へ明確な「 変化 」感じた時期が在る。
1979年アルバム、「 オフ・ザ・ウォール | Off The Wall 」頃なんだが、ソレまで黒人音楽カテゴリー(R&B・ソウル・ファンク・ブルース・ゴスペル等)から脱却した音楽性とは云い難く、マイノリティを否めなかった。

ところが`78年、総合プロデューサーにクィンシー・ジョーンズ氏| Quincy Jones 起用する等、音源制作現場の環境整備された為か?ブレイクし始めたのだ。

大衆から肯定される大人!のミュージシャンへ成長著しいだけではなく、ダンサブルな楽曲イントロや間奏シーンで、魅せる「小気味良いダンス」がソフィスティケートされて加わり、その舞踏は現代的で「 旬な創造性 」 と 「 電光石火の切れ味 」へ満ち溢れていた。

そして、アルバムやビデオクリップ通じ体感した結果は、将来担保する証明授けられた様だった。「 メジャー!アイドルミュージシャン 」として、大変身遂げつつ在る発展途上にも拘らず、限りなく確信へ近い「 予感!」得られたからで在る。

その後制作されたアルバムも、クィンシー・ジョーンズ氏とのコラボレーション継続され、音源と意外性溢れる映像ジョイントする娯楽性追求した結果、今や伝説に成りつつ在る`82年「 スリラー| Thriller 」長編や、マーティン・スコセッシ監督指揮の元`87年「バッド| Bad 」長編等、高品質ソフトが順次創出され、ミュージシャンからアーチスト!へ徐々にだが進化していったのだ。

下記エスキースは、その進化度表現したモノ・・・・ではないが、「 ダンス&プロフィール 」を形態変化させつつ、右から左へのモーション・ピクチャー風トリビュート・スケッチとして、『 不滅の舞踏 | Never end Dancing 』描いてみた。

   
  
 michael_jackson_neverenddancing_sm.jpg

              We will miss you very much !
   Please accept my deepest condolences on your misfortune.
                 

ところで、ソレまでも「 映像と音楽のジョイント 」存在しなかった訳ではなく、MTV 等通じTV放映されており日常的な事だった。しかしながら、音楽メインのライブ・シーンやアフレコ演奏場面等が多く、脚本仕立の物語性まで楽しめる「 エンターティンメント!」ではなかったのだ。

コノ時点で、歌手マイケル・ジャクソン氏とそのグループは、知的斬新さ伴う新次元エンターティメント「 ブランド!」、確立したと云っても過言ではない。
何故ならば、コノ種のオリジナリティ起源持つ強み発揮し、ビデオ・ソフト発売以降も追随する他ソフト競合しなかっただけではなく、DVDへのシステム移行期共重なり、販売成績「 驚異的な数値 」叩きだしたからであった。

そして`91年アルバム「 デンジャラス| Dangerous 」も大成功し、マイケル・ブランドの次段階見据え、ビルト・アップ計画へのみ集中出来るハズだった・・・?

ところが「 好事魔多し 」、プライベートでの争議騒動へ巻き込まれたのだ。
状況詳細省略するが計算外だったに違いなく、コノ事件解決の為数年間クリエイティヴ活動から離れざるを得なく、彼にとって創造的無作為な時間存在した旨、周知の如くで在る。

漸く近年になり、専念体制再構成し国境や人種(肌色)超越した、他に類例を観ないエンターティメント・ブランド、『 マイケル | Michael 』後期分!構築途上にも拘らず、2009年6月末予告されない事故発生し、人事尽くされたものの極めて無念な結果と相成り、「 未完のまま 」唐突な終焉迎えた。

彼等が仕掛けた「 映像+音楽 」ソフト、その観賞スタイルを定着させた功績甚大で在り、音楽業界へ与えた「 影響と貢献度 」計り知れないモノが在る。

          1979 Off the wall       1982 Thriller
        offthewall_mj1a.jpg   thriller_mj2.jpg

        bad_mj3.jpg   dangerous_mj4.jpg
             1987 Bad        1991 Dangerous


本名:マイケル・ジョセフ・ジャクソン氏 | Michael Joseph Jackson.
2009年6月25日天へ召された、享年50歳。死因に付いては諸説推量されているようである、しかし司法解剖後の当局調査中理由により、現在不明。


13:53 : デッサン・ド・ムジィークトラックバック(0)  コメント(2)

航亜リポート / バリ島 2

Asian report | Bali island 2
 
宿泊したホテルは、竣工後まだ間もない。

ヒルトン系列の「 コンラッド・バリ | Conrad Bali 」ホテルだったが、近年開発されつつ在る新興地区ブノア| Benoa に位置し、有名なリゾート・ホテル林立する海岸、ヌサドゥア| Nusa dua へ程近いロケーションだ。

広大な敷地は、幅約350mの美しいブノア・ビーチへ直面しており、各宿泊棟周囲にトロピカル・ガーデンとラグーンが配され、総部屋数313室の客室とスパ・ヴィラ×2 ゾーン、またコンヴェンション・ホールや各種スポーツ・クラブ等所有し、滞在型リゾートとしての機能充分な、近代的ホテルでもある。

また客室天井は充分高く、部屋や家具・調度品デザインが、「 バリ島資源 」使用するモダン・デザイン施される中、民族系意匠の置き物や装飾物配され、モダンさの排他感をコントラストで調和し、落ち着ける雰囲気創意していた。


Conrad Bali Resort & Spa. | 環インド洋環境連鎖

       conrad_bali_01b_sm.jpg
            
過去、ホテル客室スケッチして来た経験では、リゾート立地の客室平面フォルムについて、以前より或る特徴を感じている。漠然とだが、機能形態(長方形)での客室計画を選択しないケース、高い比率で存在する様に思う。

今件でも、早速描いた上記ラフ・スケッチから、バイアス| Bias(斜め)掛けた平面計画導き出され、着眼点間違いではないのかも知れない?
そこで、企画者や設計者目線想定し推察してみれば、リゾート雰囲気を醸し出す必要性から、非日常的でイレギュラーな平面考慮され、敢えて非効率的なバイアス・デザイン取り入れ計画した結果、等と勝手ながら断定した・・・・。

また数在るホテル・ライフ中、初体験!だった「 床材 」にも触れておきたい。
南国常夏ならではのマテリアル、客室床全面が「 大理石貼り 」で仕上げられており、見栄えと共に温度対策上の仕様だが、湯上り素足感良好な暑気払い演出、とでも云ったら良いであろうか?足心地極めて良かった。

そしてロジスティックに関して、当方「 現地クリニック :バリ島/1 」からも判明している様に、天然資源の恩恵活用出来るお国柄、「 鉱物や木材 」地理的及び価格的にも入手容易であるハズ、したがって日本の国策国有林「 スギ材 」同様、大量使用成立するのだろう。

ところで朝食バンケット・ルームが、オープンエアでラグーンへ面する、その水面渡る低湿ブリーズ心地良く、快適な目覚め促進された。
勿論ソレだけではなく、バイキング・スタイル食材の「 野菜・果物・生果汁 」も豊富で種類多く、中でも甘味程良く芳醇さ香る「 呼称不明フルーツ」極上モノだった、しかし残念ながら御知らせ出来ない「 ドジ! 」、お詫びしなければならない!


              Garden & Lagoon Resort.
        conrad_bali_02sm.jpg
        conrad_bali_03sm.jpg
        conrad_bali_05sm.jpg
              Spa & Relaxation Villa type.


渡航時の6月、「 南半球 」では丁度「 北半球の晩秋 」時期へ相当する。
ソレ故か?気候的には「 涼しい!」と現地情報通の方が云う、しかしながらシーズン情報持たない者にとっては、赤道直下の「 夏 」気分を充分満喫できる。恐らく涼感意味する情報は、多少「 低湿度 」だからなのかも知れない?

その「 海洋性低湿度 」影響するのか、ホテル建築設計意匠からも伺われるオープン・エア空間は、客室外の廊下、エレベーターホール、ヴァイキング・バンケット、フロントロビー・エリア等、パブリックと思われる環境が殆んどソノ状態。

しかしながら、ナチュラルで開放的環境は意外と不自然さ感じなく、却って健康的な南国リゾート気分へ浸れるのである、したがって或る意味「 キー」になる空間意図だと気付かせられた。

また、短期業務渡航だった由も在り詳細検証した訳ではないのだが、「 インド洋の香り 」を社会全体より感受する事出来る。

民族・言語・宗教・食事・建築・意匠等々、ソノ風味や肌合いや佇まいから、色濃く感じ取れる「 環インド洋!」環境連鎖の影響、「 環太平洋地域 」との大きな相違点も垣間見え、大変興味深い印象持った。


12:03 : アジアトラックバック(0)  コメント(0)

航亜リポート / バリ島商業施設

Asian report | Restaurant in Bali island.

業務渡航とは云え、食事時間は在る。

その際、怪しげな調査探索方!へ変身するデザイナー達が世に存在する、残念ながら私もソノ類から洩れないようだ!?
訪問施設の「 気になるアングル 」必ずショットする習性、既に反射神経の如くオートマチック・アクションしてしまう、下記写真はソンナ反射神経!の賜物、3枚連写をスティッチ・アシストによりジョイントし、広角パノラマ画像とした写真である。


カフェ・ワリサン | Kafè Warisan

  bali_Kafe_Warisan_01sm.jpg

クロボカン | Kerobokan エリアは、スミニャック | Seminyak の北側へ位置する、田園と畑作地帯がまだ多く残る地域で鄙びた雰囲気だが、現在バリ島最先端のスタイリッシュな場所でもある。

上記写真施設は、ラヤ・クロボカン通りへ面しており、瓦屋根の田舎風欧州モドキ建物内、小粋なアンティーク・ショップと共に奥へ併設されている、フランス人オーナーシェフのフレンチ・レストランなのだ。

そして、ナント云ってもこの施設魅力は、庭面から眼前へ広がる田園地帯を借景として持つ、ロケーション抜群の中庭テーブル席である、長閑な景観と爽やかな空気存分に満喫しながら、オープン・エア・ランチは時間忘れる程の午餐となった。

評判等情報は事前に聞き及んでいたのだが、各国グルメ達ご機嫌も満足させている旨、貴重な景観実際体感し理解できた次第で在る。
また、ランチ・タイムに立寄った関係で他の時間帯イメージ不明なんだが、夕食時のサンセット・タイムなどは、特にロマンチックな借景となるのではないか?と想像掻き立てられた。




クーデター| Ku dè ta
スミニャック | Seminyak エリアは、クタ繁華街やレギャン・ビーチの北側へ位置しており、欧米人が多く住む地域、街路にはお洒落な店舗や施設が軒連ね、各国セレブも滞在する豪華リゾートや、デザイン・ヴィラ等も数多く存在している。

そのエリア中、トップクラスのクールな飲食施設として、夕暮れ時には来客車で店頭大渋滞する程、話題集中する人気スポットがこの施設だ。

スタイリッシュなリゾート・ホテルとして人気を集める、ザ・レギャン| The Legian 南側オベロイ通りへ立地し、施設はバー・エリアとレストランとデッキ・エリアに分かれ、バリ島在住外国人や旅行客で深夜まで活気に溢れている。

また、中庭がそのままビーチへ続くご機嫌なロケーションの為、ビーチへ置かれたサンデッキ席は大変賑わい、早めに行かないと確保出来ないようである。
それには理由も在り、サンセット・タイムにこの場所から観る夕日が、「 バリ島最高の景観 」と喧伝されているからだ。

下記写真、中庭芝生の左奥が晩餐テーブル囲んだレストランとバーエリアのゾーン、そしてパラソル付きデッキ・エリア右端から直接ビーチへ続き、日没以降キャンドル灯火と共に淡くライトアップされ、ゴージャスで高級なリゾート気分をホスピタリティと共に浸れる。

  bali_ku_de_ta_01sm.jpg

さて肝心の晩餐キュイジーヌは、地中海料理メインに提供されているが、コンチネンタルな魚介類海鮮だけではなく、近隣オージィー・ビーフやオーガニック野菜類等もメニューとして揃えられ、グルメ・セレブ達を充分満足させる、亜熱帯美食レストラン・メニューだった。

晩餐と共に美宵は深けつつ、評判通りの人気スポット体験を満喫した。


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デッサン ・ ド ・ ムジィーク / オートグラフ 7

Dessin de musique | Autograph 7

・・・・・・狭い台所に並んで食器を洗ってからテーブルに戻ると、煙草に火を点けて M.J.Q のレコードを聴いた・・・・・(注/1)

「 村上春樹氏 」作品中引き合いに出された M.J.Q は、1951年ミルト・ジャクソン氏 | Milt Jackson によって、本人頭文字のクァルテット結成されスタートした、しかし翌年名称をモダン・ジャズ・クァルテットへ変更、以降その意味イニシャルが定着している。

さて、未だ私が学生だった頃、四谷見付のジャズクラブ・イーグルに夜明けまで居た際、暁方近く友人は或る曲をリクエストした。
当時初めてソノ楽曲聴いた印象では、バロック室内楽如き「 フーガやロンド形式 」感じたのだが、ソノトキの臨場感も作用したのであろう、心象へジャスト・マッチしたのだ!緩やかに共鳴するヴィブラートと共に、徹夜明け覚醒も促進され「 爽やかで典雅 」な記憶として残されている。

「 朝日の様に爽やかに | Softly, as in a morning sunrise 」は、モダン・ジャズ・クァルテット代表曲「 ジャンゴ | Django 」と同等に知られており、アルバム「 コンコルド | Concord 」へクレジットされる、思い出混入楽曲なのだ。
それ故か?私にとってヴァイブラフォンは、郷愁誘う音質存在するのだが、ソレを相乗させる様な以下出来事も体験した。



初期ドラムス以外、長期間 M.J.Q メンバー変更はない、したがって熟練プロの成せる技持ち、各々パートで即興反応しつつも、絶妙なアンサンブルで「 間 」を表現出来る、ジャズ界稀なコンボなのである、しかしながら1974年~81年のみミルト・ジャクソン氏、コンボ離れソロ活動した時期も在った。

幸運な事に!丁度その時期、スイス・モントルーへの訪問機会複数在った。
彼が、ノーマン・グランツ傘下パブロ・レーベル、J.A.T.P のミュージシャンとしてワールドワイド興行へ、参加していた頃の事である。

        django_mjq01sm.jpg      concrd_mjq02sm.jpg          
          `53 Django           `55 Concord

欧州五つ星ホテル車寄せ付近での喧騒気付いていた、しかし友人と寛いで居た為ロビーホール・ソファへ、私は腰掛けたままだった。
アプローチへ到着した背丈在る痩身紳士、ファンへ囲まれサイン攻めに在っている様なのだ、やがてファンから開放されホール内へ付人と共に歩いて来た、だがソノ紳士認識した際、少なからずタジロギ感じざるを得なかったのである。

不適切な外見判断をするべきではない旨、充分承知している。
しかし、苦虫潰した様な面相眉間へ神経質そうな深いシワ寄せ、排他バリアー・モード発信するソノ雰囲気に、氏への「 オートグラフ興味 」減退し、ポジティヴな行動取れなくなってしまったのだ。

後に理解出来るのだが、演奏時等ナチュラル発信される威厳(オーラ)を、ネガティヴな外見印象から「 排他バリア・・」などと、見当違いしていたのだ。
その「 御門違い 」証しは数日中に訪れ、静粛で誰も居ないホテル廊下を行き交う際、たかがオートグラフ「 当たって砕けろ!」と計り、上擦りそうな緊張感呑込みながら、慇懃に試みたのである。

結果、数日前「 インプットされた先入観 」微塵も無く別人佇まい、眼前の痩身紳士は柔和な眼差しと微笑へ包まれており、差し出したボールペン受取るとノート斜構させ、シンプルな美しい署名のみ「 サラサラッ」と・・・・、そして筆記用具丁寧に揃えご返却下さった、私は必要最小会話で済ませ頑くなな笑み返すのみ、上擦る事さえ忘れ危惧する必要もなかった。

ご署名頂戴時拝顔した柔和な「 御顔 」、男性とは云いながら穏やかで慈悲深さ伴う、「 観音菩薩像 」如き印象が刻まれ、現在も心象風景として甦生する。

その様な想い出在るミルト・ジャクソン氏、演奏中は腕が多いのではないかと錯覚する、したがって速動する打琴両腕の幻影モチーフにしつつ、当時垣間見た菩薩イメージを感性膨張させながら、恐縮ではあるが「 千手観音菩薩像 」へ見立てさせて頂き、御本人署名もコラボする『 慈悲深いミルト | Merciful Milt 』、幻のディーガン社 | Deagan ヴァイブ演奏する下記エスキース完成させた。(部分図)


           M.J.Q | Softly, as in a morning sunrise.
              Whole size picture click here.
   mltjackson_senjyukannon_01sm.jpg

                Vibraphone:Milt Jackson.
                   Piano:John Lewis.
                   Bass:Percy Heath.
                  Drums:Connie Kay./Mr,

本名 : ミルトン・ジャクソン氏 | Milton Jackson.
ヴァイブラフォン奏者・作曲者・バンドリーダー等務め、皆目周知で在るが長期に亘り、愛称を「 バグス | Bags 」呼称され親しまれていた、残念ながら1999年10月9日肝臓癌の為、ニューヨークにて天寿全うし他界、享年76歳。



注/1
村上春樹氏処女作品、『 風の歌を聴け:`79年講談社 』一節より抜粋、余談だが`81年大森一樹監督作品として、同名タイトル映画化も実現した。
ところで氏は、過去「 ジャズ喫茶 」オーナー経歴お持ちだ、それ故今でも膨大なレコード・コレクション、収蔵しているらしい。音楽(ジャズ)関係するエッセー多いハズだ、和田誠氏との共著『 ポートレート・イン・ジャズ/ 1・2 』、その他『 意味がなければスイングはない 』 や 『 村上ソングズ 』等、音楽慈しむ作品多数。

※ 暮々も申し上げておきます、ミュージシャンが他のイメージだと云う訳ではない
  ので、ご理解下さる様お願い致します。


00:18 : デッサン・ド・ムジィークトラックバック(0)  コメント(2)