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街中の景観 / 三菱一号館

Town scape | Mitsubishi ICHIGOKAN.

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東京大学の本郷キャンパス構内へ或る偉人立像が建立されている。工学部一号館前の現存ブロンズ像はジョサイア・コンダー氏:JOSIAH CONDER、明治10年(1877)日本政府から招聘され来日した弱冠25歳のお雇い外国人建築技師だ。そして当時は蘭語主体だった為に英国人にも拘らず蘭語読で『コンドル先生』と親しまれ、此の愛称が定着したようである。当時巷では薩摩士族が反乱起こした『西南の役』勃発年。

J.コンダー博士は来日後、多くの注/1公共建築や私邸等の設計着手すると共に工部大学校(現東大工学部建築学科)教授としても教鞭を取り、後に日本銀行本館や東京駅設計した辰野金吾氏など近代建築創成期の錚錚たる日本の建築家達を育成し、日本建築学界の礎を築いた功績は甚大である。

其の後官職は退いて、建築設計事務所を開設し岩崎家との縁から三菱財閥の顧問になった関係も在り、当時は『原っぱ!』だった丸の内地区へロンドン官庁街如き近代的ビジネス・タウンを建設する計画へ、参加する事になる。
ソノ建物基本構想が、軒高50尺(約15m)三階建ての赤煉瓦組積造で屋根は急勾配のスレート葺きとした。そうして丸の内最初のビル三菱一号館は明治27年(1894)丸の内二丁目に竣工後、引続いて二号館及び三号館と建設計画は進行し『一丁倫敦』と呼称される、ロンドン風の官庁街が明治時代に形成されていったのである。

以降、赤煉瓦建築のロンドン風官庁オフィス街は幾多の変遷と共に、其の後民間へ移行したもののそのまま残置活用されていた、しかしながら残念にも高度経済成長期の時代潮流には抗えず築後76年目にはその役割を終えたのか?昭和43年(1968)には惜しまれつつ取り壊されてしまった・・・・。

              Mitsubishi-ICHIGOKAN MUSEUM.
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ところが2005年頃から再生復元計画案が模索され、J.コンダー博士が設計した赤煉瓦造りの『三菱一号館』が当時場所のまま再生復元工事が行なわれ、用途新たに美術館として甦る事になった、初竣工からは115年経過し取壊されてからも42年経つ。
聴き及ぶ処では当時の保管部材やレンガ等は多少存在したようであるが、復元数量を確保する為煉瓦については中国の製造工場へ制作依頼し、竣工時と同様製法で250万点程の数量を忠実に再現した煉瓦を製造したのだそうだ。

サスティナブル・デベロップ(持続可能開発)は既存の再生を意味するが、其の究極は無の状態からスタートする復元再生なのである。日本の建築業界近代史において、復元再生の専門設計者は望ましい人材が揃えられているとは云い難い、しかし欧米には専門的人材教育機関も存在し専門デザイナー達が数多く輩出されている。

日本にも古式伝統建築界では『宮大工』に代表されるレストア!?関係者の存在は周知である、したがって此の『三菱一号館』が歴史的近代建築レストア職の人材育成におけるマイル・ストーンとなる事を祈念して止まない。また近年開発のヒューマン・スケールを越えた建築群との比較を恐縮ながら敢えて云わせて頂くと、三菱一号館には先人智恵から伝承された『風合や風味や温もり』の雰囲気が醸し出されており、懐かしさと云うよりも現代や未来へ必要な何か?と云う印象を感じたのだが、其の様な体験を感受したのは私だけではないのかも知れない?

用   途 :芸術作品展示美術館・物販店舗・飲食店舗。
事業主体 :三菱地所株式会社。
建築設計 :(株)三菱地所設計。
建築施工 :(株)竹中工務店。
延床面積 :6000㎡/1800坪。
構   造 :赤レンガの組積造建築。
階   数 :地上3階・地下1階。
展 示 室 :20室。
工期年月 :2007年2月着工~2009年4月(プレ・オープン)。
オープン :2010年春季に正式開設。
館   長 :高橋明也氏。


注1/ 鹿鳴館、上野博物館、横浜山手教会、三井家倶楽部、ニコライ堂/ハリストス正教会東京復活大聖堂、島津忠重邸/現清泉女子大学、古河虎之助邸/現古河庭園、などの設計を御担当されたのである。

01:51 : 建  築トラックバック(0)  コメント(2)

モールズ・モノローグ / 10

Mall`s monologue | モールの独り言
  
    Brick square:ブリック・スクウェア.Photo:20090926 Sunnyday.
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丸ノ内地区の市街地再開発計画である大規模商業施設の『新丸ビル』と『丸ビル』に引き続いて、同種の複合商業施設『丸の内ブリック・スクウェア』が2009年9月3日においてグランド・オープニングを迎えた。

これら複合商業施設の主幹なのは『三菱一号館』だ!本年4月に昔年の場所そのままに復元竣工を終え既に美術館として仮公開も済んであり、明治時代から現代へ蘇ったのであり往時の竣工からは概ね115年!が経ち、取壊されてからは42年が経過。
復元再生建築するに充り、赤煉瓦は中国工場で当時同様製法を用いた上で約250万個分を忠実に再現製造したようだ。

その赤煉瓦で煉瓦組積造建築の施設で四方を建物で囲まれる方形内庭が配置されていると云う環境条件から、今件の臨検対象にした冒頭『ブリック・スクウエア』の名称を考案されたのであろう旨容易に推察し易く想像出来る、自然との調和や憩いを主張するコンセプトは大変判り易く適切なのであろう。

さて、丸の内商業施設地区の基本理念を『丸の内コンフォート』とした平面エリアとしての商品配置計画は、総じて四つのゾーン(下記参照)へ分けられており、意匠の相違する各々建物がリンケージする様な環境デザインが施され、其の上で各商品ゾーンが配置されている事を安易に解釈するのが可能である様な、サーキュレーション(回遊導線)計画でもあったと体感した。
  パーク・ビル棟:オフィス&商業ゾーン
  アネックス棟:商業ゾーン      
  ブリック・スクウェア棟:緑陰環境ゾーン   
  三菱一号館棟:美術館ゾーン     

そして、ヴァーティカル(縦方向)の商品配置計画では三業態が設置されている中、飲食業種の多い現況を無意識ながら感付いたのである。其の理由については、恐らく丸の内界隈の立地条件(近隣状況)や対象顧客層の行動パターンなどをシュミレーションした結果からなのだろう!?特段違和感なく頷けるコダワリ業態構成ではある、しかしながら高感度ファッションのみの物販!は暫く様子を見守りたい。
  B1F・1F・2F・3F/飲食業態ゾーン。         
  1F/物販業態ゾーン:高感度ファッション。  
  4F/カルチャー業態ゾーン:スポーツクラブ。

ところで、夕闇が迫る頃合に此の商業施設(ブリック・スクウェアに)に相応しいアトラクション!が始まるのだ。方形のガーデン・パティオ内に設置されている照明が点灯するのであるが、元号の明治と云う時代イメージを醸し出し文明開化ムードも喚起させる青白い炎が揺らめく『ガス燈!』が点灯されるのだ。

そして、夜陰に応じライトアップされる赤煉瓦造の建物とガス燈については近古情緒へ浸れるであろう、だが昼日中においても赤煉瓦建物の壁面を借景とする緑樹&水景の庭園内ガーデン・カフェにおいて、陽溜りの中リラックスして腰掛けつつ見遣る内庭パティオの景観シーンも捨て難い美観な眺望であろう、其の為『コンフォート・オアシス!』は其れ程大きくはないながら一見の価値が在るのかも知れないだろう?

                  BRICK SQUARE:Main gate.
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               GARDEN PATIO:Comfort oasis.
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今回の訪問では残念ながら臨検出来なかった項目なんだが、つい最近日本の首相が国連での演説や会議において環境負荷への対策を議題へ挙げた旨聞き及んだ。今件のブリック・スクウエア施設においては、大都会ビルの夏季熱源で俗に云うヒートアイランド現象における処理対策として、テレビや新聞等のニュース報道で御存知案件が建築施工にて処理が行なわれている様なのである。

其の一、内庭の植栽内へ紛れ込みつつ設置されている特殊スプリンクラー、触れても濡れない程度の微細水分を噴霧させる『ドライミスト装置』、米国ラスベガス市などの砂漠地帯や南部州の街中では良く見かける設備装置である。

其の二、『給水型保水性舗装』が業界通称の設備なのであるが、例えば家庭内床暖房の逆装置!と云えばお判りかも知れない!?建物内で使用する給水用配管を歩行路面下へ埋設装備して在り、給水が行なわれている時に流管内での気化熱(蒸散)が発生する為、舗装路面温度上昇を抑制させるというシロモノの様だ。

其の三、熱源対策ではないのでは?とは云うものの屋上設置されているであろう太陽光発電用『ソーラーパネル群』についてであるが、高密度商業施設の建物として需要を満たす程の発電量は無いようであるとは云え、得ている情報では屋上には可能な限り配備されているとの事だ。

三)を除いて検証は次年度夏期までお預けとなってしまった。しかしながら、再開発施設の臨検視察において『意味在る開発及び設計』が要求されつつある現況を、幸運な事に今件の訪問リサーチにおいて垣間見れる状況であった。

特筆すべきなのはエコロジーへの負荷対策なのであるが、今後においては数限りなく大規模商業施設内のバック・ヤード或いは視覚外の場所へ設えられるかも知れない?したがって臨検観察などのチェックを行なう側に於いては体感が可能な準備をして臨む必要もあり、つまり開発計画内容の事前調査が肝要となって来ているのだろう。        

主要用途 :事務所・店舗・美術館・駐車場
事業主体 :三菱地所(株)
建築設計 :(株)三菱地所設計
建築施工 :(株)竹中工務店
敷地面積 :11900㎡/3603.3坪
延床面積 :205000㎡/62000坪
階   高 :地下4階・地上34階・全高170m
出店店舗 :36店舗(面積6610㎡/2000坪)
駐車台数 :282車両
竣工年月 :2009年9月3日


09:48 : 商業施設トラックバック(0)  コメント(0)

赤 と 黒 / 力三

Rouge et Noir | RIKIZO

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                  Photo:KOZO&Alain Boule.

アトリエ内立て掛けた「 赤と黒 」タブローへ、入射角からすると天窓だろうか?

差し込む`陽光陰影`濃淡が相乗し、「 紅と墨 」への変貌醸し出す。

その光臨借景へ立昇る`黒き陽炎`如く、画布に没入する画人は仏師のようだ!

或いは毎々の修練積重し、より高貴な記号化求道する修験者かと錯覚もする。

画道究極に、「 和の領域 」存在すると云うのだが・・・・・、

この黒き陽炎画人、更なる領域周辺へ既に到達しつつあるのだろうか?

歴史・伝統・様式・作法・・・・・「 和 」極美存在する禅刹寺院との`創造的和合`

偶発ではなく、隠力から啓示された必然感じずにはいられない。

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仏国パリ郊外在住画家の深尾力三氏:RIKIZO Fukaoは、ゴッホの町として著名なオーベル・シュール・オワーズに仕事場を構える日本人抽象画家である。

ところが過日、フランスから届いた「 展示会案内状 」に大変関心惹かれる内容が含まれていた。したがって、当ブログ通じお知らせしたいと存じまして画伯からお許しを頂き掲載する事にしたのだ。上記案内からの推察だが、京都市内の寺院においてチャレンジングな印象感じさせる注1/展示会を開催予定なのである。

RIKIZO画伯は抽象画家として欧州滞在38年間、極めて個性的な絵画スタイルを現在まで不変のまま、タブロー(油絵)やシルク・スクリーン描き続けて来た経緯がある旨、今までの御付合いから私はよく知っている。
そして、基より「 和の気品 」を漂わせる画風の持ち主だ。その画伯が京都寺院に於ける日本美追求した結果、「 襖 」・「 屏風 」・「 掛け軸 」を手掛けたと云うのである、洋画家描く建具や掛け軸等の創造的コラボレーション、現地京都市東山区『 高台寺 』にて大変興味深い『 奉納記念展 』を世界初公開する。

本殿方丈の間、幅広襖16枚に描かれる「 注2/匂い!」インビテーション、本年届いた展覧会案内状の中では、少なからずサプライズ伴う内容だった。



注1/ 主催:RIKIZO高台寺展実行委員会、企画:I.C Planning Corporation。

注2/ 現代社会において『匂い』と記述した場合、「かぐわしく癒される芳香」を表現している事多いのであるが、我が国の伝統仏教界においては『鮮やかな色彩コントラスト』を意味しているようだ。(高台寺執事コメントからの抜粋)

22:24 : 絵画などトラックバック(0)  コメント(0)

デッサン・ド・ムジィーク / オートグラフ 8

Dessin de musique | Autograph 8.

レマン湖畔を望むコンサート会場のモントルー・カジノホール、其の付帯施設でもある水泳プール入場パスを私も持っていた。ジャズ・フェスに参加したミュージシャン達が昼間はプールサイドで寛いでいるとの情報得たので、或る目的!を達成する為ブランチで食事を摂った後にやって来ていたのである。
ジャズ・フェスティバル期間中、真夏とは云えスイスでは涼感が伴う為か?泳いでいる方は殆んど居ない状況で、日光浴を兼ねつつパラソルやデッキチェア周辺を領域にするグループと、其の閑静空間の隣接テニスコートで楽しそうにプレイする集団も居たのだ。

当方の目指しているジャズマンも其処に参加していたのだが、夜間出演のステージ緊張感から開放され寛いでいらっしゃる処へ興醒めする様な無粋行為は慎まなければならない旨肝へ銘じ、希望叶うかは不明だが私もティーブレイクを装ってソノ機会を虎視眈々に窺がいつつ、目的ジャズマンはテニスコートでTシャツと水着姿でプレイする状況を暫らく眺めていたのだが、すると一汗かいたからだろうプールサイドまで戻って来てパラソル付テーブルへ着座されている、私も着座で頃合い見計りつつも昂揚感を押え切れず鼓動が高鳴る為、勇む心意気を静めていた。
やがてチャンス到来!オートオートグラフ依頼予定のジャズマンは白水着に水色の半袖Tシャツ姿で寛ろぐトランペット奏者ディジー・ガレスピー氏:Dizzy Gillespieで、円卓テーブル席へは他に着衣姿の紳士二人も同席しオスカー・ピーターソン氏と初老紳士!なのだが、恐縮な事に其の初老紳士の姓名を察する事出来なかったのだ、しかしながら実を云えば今件の主役対象者!?に成ったのである。

さて、勇み立つ気持ちを押えつつ巨匠達の処へ筆記具携え冷静さを保って接近。私の気配気づかれた御三方は会話が一瞬途絶えて怪訝そうに此方を注視、不興気味の気配を払拭する為用件のみ伝えると和やかな雰囲気は戻り、最初に氏名不詳の初老紳士が筆記具受け取りながら当方素性を聞いてきたので応答して多少会話弾んだ後、お気遣いされたのだろうか?当方の名前入り(下記描画内黒塗り部)オートグラフを頂いた処、氏名不詳だった御尊名を黙読できたので判明!。

ところが、そうしている間に予想外!?の変事が起きてしまった。関係者らしき男性係員がD.ガレスピー氏の処へ来て『・・・』何やら耳打ちをされた後、そのまま係員と共に建物内へ立ち去ってしまった為私は目的達成出来ないまま帰宿せざるを得なく、さらに加うるに極めて無念ながらソレ以後においても『D.G氏オートグラフ』の入手機会へは不運にも恵まれなかった。              
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Mr,DIZZY GILLESPIE's Trumpet has the famous bent-bell.
©The Louisiana State Museum.

そんな過去を想起させるオートグラフはソノ時の『初老紳士』のモノで、スウィング期からバップへかけて御活躍されたトランペッター『ロイ・エルドリッジ氏:Roy Eldridge』に頂いた御署名なのである。
ビッグバンド全盛時、群れから離れ個を主張する華やかな演奏スタイルはスウィングからビバップへの道標を次世代トランペッターに示唆し、バップ功労者のガレスピー氏へも強いインスピレーション与えた功績大きい。だが、同時代活躍のサッチモやディジーとの相対比較をしてみると、どう贔屓目に判断しても世評扱いには恵まれていたと云えず、看過されがちだった事は否めないだろう。

正直な処、私も世代違い故からか?御活躍のトキを殆んど存じ上げず、恐縮にも所蔵音源のLPレコードは僅か1枚のみ、したがって詳細情報などをお伝え出来ない状況で申し訳なく思う。そして、ご署名を頂戴した際の語り口は穏和ながらも下唇の皮膚が擦過し赤く腫れていた状況視認でき、プロ管楽器奏者の激務を垣間見た思いする。勿論当方の目的など御存知ないだろうし、御尊顔と氏名が一致しない不勉強な当方に御親切な対応をして下さったエルドリッジ氏へ対し、魂鎮めを含めて感謝と共に懺悔なども表現した描画を発案創作し、タイトル『トランペット・キングス:Trumpet Kings』として下記デッサン画を描き上げた。
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Sketch Title /TRUMPET KINGS.
Satchmo:Louis Armstrong&Dizzy Gillespie&Roy Eldridge.

本名デビッド・ロイ・エルドリッジ氏:DAVID ROY ELDRIDGE.
愛称は『リトル・ジャズ』であり、1981年にはジャズ音楽界からは引退していたとは云うものの、'89年2月26日ニューヨーク州のヴァレイ・ストリームにて永眠、享年78歳。

本名ジョン・バークス・ガレスピー氏:JOHN BIRKS GILLESPIE.
愛称は『D.G』、1942年作曲の『チュニジアの夜:A Night in Tunisia』はビバップ・イコンとも云うべき著名楽曲なのだ、しかしながら膵臓癌を患った為にニュージャージー州イングルウッドにおいて1993年1月6日永眠、享年76歳。

本名ルイ・ダニエル・アームストロング氏:LOUIS DANIEL ARMSTRONG.
二十世紀代表するジャズ・トランペット奏者で愛称『サッチモ』意味は、口唇が大きい為なのか?Satchel Mouth(小型カバン口)略称がSatchmo(サッチモ)に成った、またヴォーカリストとしても御活躍していたのだが1971年7月6日永眠、享年70歳。


誤解の無きように暮々も申し上げておきますが、今件対象とさせて頂いたジャズ・トランぺット奏者の御三方が擬獣化されているイメージだと云う意味でデッサン画を描いた訳ではない為、御理解と共に御容赦を頂きたいと存じます。

10:31 : デッサン・ド・ムジィークトラックバック(0)  コメント(4)

デッサン・ド・ムジィーク / 爪弾かれた偽作

Dessin de musique | Plucked the Replica.

'70年代初頭の我が国でもロック・ビジネス隆盛兆しから、注1/外タレを軒並み招聘する時期には演奏品質もピン・キリ存在し、注2/醜態を曝す疑問符付公演にも拘らず高額ギャラ持ち帰る治外法権興行!?多くはないが興行主も反省機会在ったのだ。
そして、此の時期には演奏技術エイド機能のシンセサイザー躍進も著しく、収録やミキシングにおける音源補正や楽器表現力をサポートする機器開発も著しく、ソノ様な事から演奏技量未熟でもディスク制作容易に出来るようになっていた。

現在からは俄かに信じ難い事なのかも知れないが、英国出身ロックグループ・クィーンのデビュー間もない頃、我が国だけではなく本国においても音楽業界マスコミより大変懐疑的な取り扱いをされ評価低かった状況、御存知の方は少ないであろう。英国内では、クリームやツェッペリン以降『雨後の筍』如き状況を呈するロックシーン、次世代のバンドに対しては評価基準が高く鳴り物入りスタートと云う訳ではなかったのだ。

その様な理由からかクィーンの注3/デビュー・アルバム『戦慄の王女』発売時、新人にしては重厚さと奥行を感じさせるサウンド及び多重唱や組曲風のアレンジや美しいメロディを併せ持ち、作詞・作曲と編曲能力も優れ完成度が高い面が却って災いし!?演奏技術への疑問が生じ、特に社会経験が豊富な当時大人達からは多重録音を重ねたのではないか?と思われ、キワモノ扱いされてしまい正当な評価受けられなかった。
それ故か?デビュー・アルバムに『シンセサイザー未使用!』と云う殊勝な表示については語り継がれ、既に巷の伝説と成っている。

`75年5月初来日公演の僅か2週間前、銀座四丁目のチケットビューローで武道館のアリーナ席二枚購入出来た個人体験等は世評誤解による低評価の証明となるだろう、斬新さへ対する反応は古今東西似ているのかも知れない。
『経験浅いが瑞々しい感性を持ち合せる若者層』及び『知識・経験豊富だが感性枯渇し始めた年配層』、彼等に対しても例外ではなく若者達は来日以前の音源聴取当初から絶賛していた。そして初来日公演が実現し、其のライヴ・ステージが好評価を受けた為に懐疑心は払拭され、我が国発の人気が先行し世界や本国へも伝播した旨周知である。

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左側画像 :QUEEN-Ⅰ(戦慄の王女)、右側画像 :QUEEN-Ⅱ

下記掲載画像はステッドラー4B&2B鉛筆での作画、ステージ後方に飾られたバンド紋章を背景に従えて演奏するクイーンブライアン・メイ氏:Brian Mayをフィーチャリングさせて頂き描き上げた作品である。
欧州王族の紋章に附帯する『向い獅子』、諸説によれば日本では過去に隣国高麗から渡来時『高麗犬:コマイヌ』と称され獅子が犬種へ変転した為、現在呼称も『狛犬:コマイヌ』へ至った様である。そして神社拝殿等の参道両側に魔除けとして配置され双方には別称が存在しており、右側へ開口の阿形(あぎょう)また左側には閉口の吽形(うんぎょう)、この様に云われる両像を一対として安置されているのだ。

上記等の印象から描画構図を発案し、ギター・ピックの替わりに注4/英国6ペンスコインを使って演奏するブライアン・メイ氏の尊顔を、神社参道等へ鎮座する『狛犬:獅子』に化身メタファーさせて頂き『爪弾かれた偽物:Plucked on the Replica-Guitar』を画題テーマにした描画である。

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Sketch Title /PLUCKED ON THE REPLICA GUITAR.
Freddie Mercury(vo)、Brian May(gt)、John Deacon(ba)、
Roger Taylor(dr).


ところで、ブライアン・メイ氏奏でるギターは『レッド・スペシャル:Red Special』と呼称されているが、実は大変希少なプライベート・モデルなのだ。
1963年メイ氏が16歳の折、父親のハロルド氏と共にハンドメイドでのギターを製作し始め試行錯誤を重ねつつ五年間を費やし完成に至ったオリジナル・モデルは、友人の家では廃棄予定だった二百年程前の暖炉天板(オーク材:和名ナラ)を譲り受けて、ギター本体のネックやボディなどの木製部分に転用し製作。

そして成長後、プロとして活動し始めてからも改良を重ねながら其のレッド・スペシャルを愛用していたのだが、オリジナルのモデルは経年使用に耐えかね満身創痍となった為に修復する事と相成り、其の期間中代役ギターは公認及び未公認も含め『模作&偽作』等が世界中へ存在し、イミテーションやレプリカのモデルだが以下列記は当方調査範囲内の機種である。
1975~/ Greco-BM900/ 企業/ 無許可コピー/ 日本
1984~/ Guild-BHM1/ 企業/ 公認×316本/ 米国
1990~/ Kid's-BM Dragon/ 木戸 宏/ 半公認/ 日本
1997~/ John.Paul.George/Greg Fryer/ 公認×3本/ 豪州
2001~/ Kz-BM Super/ 伊集院香崇尊/ 公認/ 日本
2001~/ Burns USA-Red special/ 企業/ 公認/ 米国
2003~/ Guyton/Red special/ 企業/ 公認/ 英国
2005~/ RS Guitars/ Red special/ 企業/ 公認/ 米国
2006~/ BM Guitar/ Burns版権終了後、継続/ 英国

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Mr,BRIAN MAY :Replica guitars`Red Special`.
左画像:BM-Guitar、中央画像:Burns、右画像:Kz.

本名ブライアン・ハロルド・メイ卿:BRIAN HAROLD MAY/CBE.
1947年イングランド・ミドルセックス州出身、ロックバンド・クイーンの活動が軌道に乗るまでは中学校の講師として教鞭を執っていたようである。
バンド活動においては、硬貨ピックで独特の音色を奏でるリードギタリストであると同時にプロデューサー&作曲家なども兼務している、ところが其れだけではなくナント天体物理学の博士号(名誉学位ではなく本物!)も取得しており、そして2005年には大英帝国の三等勲章である『コマンダー:司令官/CBE』も受勲されている。
  
上記掲載のレッド・スペシャル・ギター各写真画像については、インターネット内のカタログ掲載画像より恐縮ながら転用活用させて頂きました旨、ご了承願います。


注1/ 外国人タレントの事を云いソノ略称であるのだが、此の場合はプロモーターが招聘した海外ロックバンドのミュージシャン達を指す。

注2/ プロとしての演奏能力及び技術が備わらない状態、或いは薬物やアルコール中毒症状などでステージ上奇異な行動とったりする演奏状況が当時は在った。

注3/ 現在の様な世界同時発売などと云う状況は当時は無く、クイーンのデビュー・アルバムの発売時期にはタイムラグが在って、英国内では1973年7月13日にリリースされたのだが日本発売は翌74年3月25日だった。

注4/ デビュー当初から演奏時においてプラスティック・ピックは使用せずに、替わりとして英国6ペンス硬貨を使いギターをピッキングし演奏を行なっていたのであるが、`90年代後半頃からは豪州の5セント硬貨を常時使用するようになったそうだ。

誤解の無きように暮々も申し上げておきますが、今件対象とさせて頂いたクイーン・リードギタリストのブライアン・メイ氏をメタファー化身させた獅子のイメージと云う意味で描いた訳ではない為、御理解と共に御容赦を頂きたく思います。

16:11 : デッサン・ド・ムジィークトラックバック(0)  コメント(4)

パーマネント・キープ・クロニクル / 5-7

Permanent keep chronicle | 永久保存年代史

北欧インテリア製品のデザイン・クォリティが良い旨、一般的に良く知られている。とりわけ食器については目利きコレクター達から認知されており、お洒落度合から我が国でも人気は高く、巷好く知られる家庭雑貨なのである。

その北欧グラスウェア・メーカー、起業されたのは1881年(明治14)スウェーデンだったのだが、合併・併合などを多数繰り返した後に現在の商標が登録されたのは1959年であり、以降フィンランドのイッタラ社:Iittalaとして現在へ至る。また、イッタラ社はグループ企業としてフィンランド・スウェーデン・ノルウェー・デンマーク各国の、メーカー注1/数社を傘下に市場基盤とネットワーク築き上げ、現代北欧ハウスウェア・デザイン界リードする著名企業へ成長した。               
                     iittala_logo.gif

このグラス・ウェアとの知遇は、街中で「 端反り(ハタゾリ)利いた口造り薄い 」流麗さに魅入り、詳細不明のまま手に取った注2/ロックグラス:Rock glass、そんな偶然がイッタラ社製品との出会いである。丁度、来客用に「 粋なグラス!」入用矢先だったからだろうか、銀座二丁目名鉄メルサ店舗内見かけた折、一目惚れしセット(×5)購入してしまった食器だが、現在殆んどマイグラスと相成る次第。

また「 口造り 」美しさへ惹かれた此のグラスは、1978年 MoMA 永久展示保存品へのコレクション承認されたグラス・ウェアでも在った。デザインを担当したのは、イッタラ社所属するヴァルト・コッコ氏:Valto Kokko、現在76歳フィンランド出身。
                 
             Highball  /  Old-Fashioned  /  Liqueur
         Otso_Drinking_Glasses-1978moma_valto-kokko.jpg        
              Designed by Mr,Valto Kokko.© MoMA

元来ロック・グラス形態は、船舶内での使用機能から生成されたのである、その為ガラス精製時の`鉛`含有率多くした上、底面も厚く低重心を優先するフォルムは、揺れる船内で安定させる為だった。したがって、本質的にはヘビー・デューティ仕様なんだが近代工芸趣向とデザイナー意図も加わり、時代と共に美しく変容して来たのだ。

このグラスにおいても、「 口造り 」が異彩放つ流美フォルム醸し出しひと際繊細な薄さを表現している・・・・・・、とは云いつつも船内仕様と云う面影充分残す機能形態が、画像からでも御理解可能だろう。

下記写真画像、普段は永久保存!?しているヴァルト・コッコ氏デザインの、注3/オールド・ファッョンド・グラス/シングル用×4個を我が家でも所蔵する。しかしながら以前使用中に1個ヒビ割れ破損が生じてしまい、惜しまれつつ廃棄の憂き目へ合ったので以後使用を差控え仕舞い込んでいた処、今件撮影で久しぶりに陽日浴びたのだ。

ところで「 Iittala.JP 」の所在地は、銀座(×2)と恵比寿(×1)へ現在三店舗存在し、都内及び近郊地域お住まいの方ならば、容易にお立ち寄り可能である。

                  My`Old-Fashioned`Glass.
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注1/ 各社名は、Arabia, Hackman, Iittala, Fiskars, Höganäs Keramik,
    Boda Nova, Rörstrand, Raadvad and Høyang-Polaris.

注2/ Rock`Old-Fashioned`glass を正式名称とし、ウィスキーやブランデーをオン・ザ・ロックする際用いられる。因みに`Old-Fashioned`カクテルがこのグラス使用された為、名称由来となった。

注3/ `Old-Fashioned`とはカクテルの名称。

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