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デッサン・ド・ムジィーク / 漆黒の夜

Dessin de musique | Blackmore's Night.

英国ハードロック界の雄ディープ・パープル | Deep Purple 楽曲、「 スモーク・オン・ザ・ウォーター」は、スイス・レマン湖畔カジノ・ドゥ・モントゥルーが、1971年12月火災へ見舞われた以下実話をモチーフにしている。

多忙ながら日程調整し、レコーディングの為スイス・モントゥルー市へ、録音場所は前日まで他ミュージシャン・コンサート興行されているものの、全員間に合うべく現地チェックイン済ませている、ところが・・・!?

フランク・ザッパ氏 | Frank Zappa & The Mothers of Invention コンサート中、クレイジーなファンがカジノホール天井へ向け、「 照明弾 | Flare gun 」発射した為、火災起こし施設全体焼け落ちてしまった。(電設不備説もある)

ディープ・パープル面々は、翌日このホールでアルバム「 マシン・ヘッド 」レコーディング控え、ストーンズ所有するモバイル・スタジオで録音予定だったのだが、燃え盛る湖畔火煙を宿泊ホテルから、成す統べもなく呆然と眺める他なかった。

それでも火災現場においては、注1/ クロード・ナッブ氏 | Claude Nobs が施設内幾度となく出入りし、火煙内若者達救助するべく走り回り、危険顧みず大奮闘していた行為、賞賛に値する。

そして諸々タイム・リミットも在る中、急遽近隣打診し手配出来た施設が、運良く空いていたグランド・ホテルだった。
その施設内、家具も粗末な心寂しい場所へセッティング済ませ、レンタル期限迫るトレーラーユニット(モバイル・スタジオ)も移動しつつ、奮励と共に!収録は無事完了させた ・・・・、とは云えこの困難打開した後述懐している、『 湖畔へ火煙上り炎が空を染めた出来事、俺達は決して忘れないだろう 』。

I know well never forget, Smoke on the water, fire in the sky.

英詩は、カジノ火災顛末の体験談的創作となり、楽曲イントロへ一度聴けば誰でもリピート簡単なギター・リフが、リッチィ唇へピック挟みつつフィンガー・ピッキングで加味され、1972年アルバムリリース後メガヒット記録した。(下記左側)


       dp_bmn01sm.jpg     dp_bmn02smb.jpg
        Machine head '72     Shadow of the moon '97


さて、火災から3年後リッチィ・ブラックモア氏は、D.P脱退しレインボウを結成するのだが、演奏活動概ねその延長線上に在ると云えよう、しかしながら現在活動中ブラックモアズ・ナイト理解するには、氏の古典音楽へ対する素養、知る必要在るのかも知れない?

彼は少年時代、父からプレゼントされたスパニッシュギター抱え(11歳)、クラシックギター教室へ通っていた経験を持つ、そこで古典演奏スタイル教え込まれた故だろうか、フレット押弦時左手甲を直角に添え、指が大きく開き小指も立ち!四指押弦可能なロック・ギタリストでも在ったのだ。

'70年代初期、ロック・ギタリスト達殆んどが我流からか、手甲寝かせ小指使用しない三指押弦を、三大ギタリスト始め多くのギタリストへ確認出来る。
また特例だが、ジャズ界には二指押弦という注2/伝説的ギタリストも居た、・・・であるが四指活用云々の薀蓄披露したい訳ではなく、当時ロック界希な古典運指可能なプレイヤーだったと、帰結したいのである。

そして敬意するギタリストが、精緻でクラシカルな構築美好むケルト圏系の英国人アコギスト、ゴードン・ギルトラップ氏 | Gordon Guiltrap 挙げている、この様な事から勝手ながら仮定させて頂ければ、彼の古典運指(フィンガー・ピッキング)こそ、現在の音楽的方向性を弁証可能な要因なのではないだろうか?次第。

近年、安息地へ落着いたかの如きリッチィは、嘗てより婚約中(後に結婚)ブロンド美人キャンディス・ナイト嬢ヴォーカルとする、中世ルネッサンス音楽基盤とするユニット組み、クラシカルでフォークロアでケルティックな、ボヘミアン・プログレ?風味醸造する抒情的演奏を、ムーミン谷スナフキン紛い衣装纏い、楽器もストラトからガット弦ギターへ持替え爪弾いている。

彼等`97デビューアルバム(上記右側)は、日本始め欧州でも成功納め、以後7枚制作されているオリジナル音源内、初期制作された内容へはルネッサンス風文芸趣向強く感じるものの、後期アルバムではハードロッカー魂多少甦り?ストラトキャスター織り交ぜたリッチィ節も、復帰しつつあるようだ。



      blackmores_night_Rothenburgs Evangelist01sm
       `ローテンブルグの伝道師 | Rothenburg's Evangelist`
                   Blackmore's Night.


ブラックモア氏使用楽器について、D.パープル~レインボウ時代フェンダー社ストラトキャスターは、周知のホワイト・ボディにラージ・ヘッドストック、そしてスキャロップ加工のローズウッド指板、と云う製品だった(下記シグネイチャ参照)。

しかしながら近年は、日本メーカー・ヤイリ社エレアコ`リッチーモデル`を、頻度多く愛用しているようだ、また下記カタログ資料と実物では少なからずイメージ相違しており、リッチィ嗜好アレンジ加えられ、ブリッジや指板(マークレス)やネックヘッドをスペシャル仕様としている。(スケッチ参照:ガット弦タイプ#1)

            Ritchie Blackmore Custom model.

       f_strat_ritchie-model01sm.jpg           kyf3e_k-yairi01sm.jpg
    FENDER-Stratocaster.          K.Yairi-KYF3E


本名 :リチャード・ヒュー・ブラックモア氏 | Richard Hugh Blackmore.
ディープ・パープルのオリジナルメンバー、英国サマセット州出身ギタリスト。しかし`75年に脱退、レインボウ | Rainbow として活動始める、また'84年D.P再結成時においては、その活動一時中断し再度参加も在った。
後に、レインボウは1997年終焉を向え、現在キャンディス・ナイト嬢(Vo) とのユニット、ブラックモアズ・ナイト | Blackmore's Night で、中世風味の音楽集団ギタリストとして活動中(2009年現在)。通称リッチィ | Ritchie.

本名 :キャンディス・ナイト氏 | Candice Night.
ニューヨーク州ロングアイランド出身の米国人。ハイティーン時代はモデルとして活躍していたが、後にラジオ局勤務中の`89年ブラックモア氏と出会い、バッキングコーラスなどでD.Pステージへ参加する様になった、そして`91からの同棲経た後2008年に結婚、現在はブラックモアズ・ナイトのヴォーカリスト&古典楽器演奏者として活躍中。


注1/ 音楽祭ディレクター| The director of the Montreux Jazz Festival.

注2/ 1934年仏国で結成されたジャズ弦楽五重奏団、フランス・ホットクラブ五重奏団のリードギタリスト、ジャンゴ・ラインハルト氏。火傷事故により左手指は不自由だった、にも拘らず卓越した技術身に付け、ジャズギタリスト・パイオニアとして伝説となる。

※ 楽器掲載写真はカタログより引用させて頂いた。

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19:09 : デッサン・ド・ムジィークトラックバック(0)  コメント(0)

デッサン・ド・ムジィーク / 麗しき響きと共に

Dessin de musique | Shadow of your Timbre.

小児慢性特定疾患と指定されている、「 先天性骨形成不全症 」ご存知の方々当然多くはない、学名:Osteogenesis Imperfecta.

症状度合により4段階へ分けられ、それぞれ発生率相違する為、正確な発生頻度把握難しいのだが、敢えて合算平均してみれば、症例発生率は約30,000人に1人の割合となる。(当方概略試算)
従って地球総人口(69億)では、概ね23万人前後の方々存在が計算上想定出来る、驚くべき数値であると同時に認識を改にした、そして資料によれば成長障害持つ発生割合へ、地域や人種・男女等の差存在しないのだそうだ。

医療関係者でもない私が、この業界用語知った経緯は、或るFM放送番組でオン・エアされて来たサウンドが、傾聴していた或るジャズ・ピアニスト音色へ、少なからず近似していた事からである。
聴こえて来た音源とは、'83年カンヌ映画祭出品されたフランク・カッセンティ監督作品、『 Lettre a Michel Petrucciani 』を特集した番組だった。

その映画は、先天性疾患背負うフランス出身ジャズ・ピアニスト、ミッシェル・ペトルチアーニ氏人物像と、彼人生を遡りつつトレース&インタビューしてゆくドキュメンタリー映像で、類い稀な天賦の資質と際立つ容姿から創造される、ヒューマニティ溢れる音楽性賞賛した内容のように記憶する。(下記左DVD)

ところで或るピアニスト音色とは、ジャズ入門時より数十年間聴き惚れ敬意して来た、他界直後のビル・エヴァンス氏であった。アマチュア感覚とは云え、プロピアニストへ「 大変失礼ながら 」と前置きし述べさせて頂ければ、イントロ数小節聴取する限り氏サウンドかと錯覚してしまう程、美韻や音匂などが酷似している様に感じられたのである。

フランス人ピアニスト音色への親近感因果は、既にライブ演奏聴取不可能となってしまったエヴァンス氏「 美音面影 」思慕し、少なからずその余韻に引きずられていたからなのかも知れない?

しかしながら閉目し更に聴覚傾ければ、ペトルチアーニ氏内面から湧き上がる情念如きパーソナリティより、導かれた無二の「 響き 」へ出会える!
エヴァンス氏は「 金属や鉱石 」的硬質さの中に、清澄で瑞々しいイメージを想起させるのだが、ミシェルは麗しくメロウな美韻と云うだけではなく、所謂「 音の粒立 」も良くシャッキリ感や冴え聴き取れる、恐らく鍵タッチとアシストセットされたペダルワークの相対バランス調整する事で、絶妙な「 響き 」創出しているのだろう。


       m_petrucciani01sm.jpg           m_petrucciani02sm.jpg
  Lettre a M.Petrucciani '83      PETRUCCIANI NHOP'94


さて、ペトルチアーニ氏のジャズ・ピアニスト動機は、幼少時デューク・エリントン氏演奏をTV視聴した際、感銘と共に天命授けられたのだそうだ、早熟な4歳だったと云うべきだろう、そして幸運にも「 手と腕 」は一般健常者と変わらなかった。

その後、彼も例外ではなくクラシック・ピアノ教習へ通い始めるのだが、指導から帰宅後も父親と尋常ではない練習へ没頭し、偉才は研磨熟成され満を辞す、やがて培われたスキル披露機会捉えると才気開花させ、神童として徐々に仏国内知れ渡り、欧州パブリシティへもデビュー果たしてゆくのである。

そして厳格な父親許可も下りた18歳、欧州内催されたジャズ・フェスティバルへ初参加した、1980年7月の「 グランド・モット・フェスティバル 」だ。
その際、少年時代よりアイドルとして憧憬していた、同ステージ踏むビル・エヴァンス氏紹介され、感動的初対面しているものの、当時本人の英語力不足から会話は弾まなかったと、後に応えている。

翌`81年、演奏拠点を米国西海岸へ移し活動始めると、当初タブロイド版として掲載された事で、米国での知名度速める結果になり、国際的ジャズ界認識も少なからず上昇させたのだった。また、卓越したテクニックから紡ぎ出される謳心や、長くはない人生と運命を肯定しつつ、課された試練克服する姿も観客魅了しファンを増やしていった旨、皆目周知でもある。

また、ベーシスト・キャスティングからも氏嗜好や音楽的方向性感じられる、因みに以下プレーヤーとアルバム制作しているが、私好みのバシスト達だ。

  ■ ミロスラフ・ヴィトウス氏 | Miroslav Vitous.    
  ■ アンソニー・ジャクソン氏 | Anthony Jackson.    
  ■ ニールス・ペデルセン氏 | Niels-Henning Örsted Pedersen.

我国へは、'86年8月山中湖畔行なわれた「 Mt.Fuji Jazz Festival 」、DVDへ初来日演奏を残している、再来日は'97年六本木「 BlueNote TOKYO 」、ライブ録音盤がCD発売された、そして'99年2月再々来日予定だったのだが、惜念空しく直前の米国ツアー中・・・・・。

ところで、フランスにおけるアルバム初録音時、予てよりドラムスを務め友人でもあるアルド・ロマーノ氏が、DVD内述べていたコメントは、極めて近親者らしい見解を示しており、意味在り気で興味深い以下内容残している。

『 実は、ミシェルが多大な影響受けたのはビル・エヴァンスじゃなくて、エロール・ガーナーとオスカー・ピーターソンだよ!』


 shadow_of_your_timbre-01a-petruccianism.jpg
             
          Jazz Pianist :Michel Petrucciani / Monsieur.
                `Shadow of your Timbre`


本名 :ミッシェル・ペトルチアーニ氏 | Michel Petrucciani.
イタリア系フランス人アントワーヌ(トニィ)と英国人アン夫妻の三男として、南フランス・プロヴァンス地方オランジュ市 | Orange で生を受ける、父親と兄二人はギタリストやベーシストと言う環境と、先天性疾患から骨も脆くスポーツ等不向きだった理由も在り、幼少時から音楽へ傾倒してゆく旨、ナリユキだったようだ。

そして出生時は、余命20年を宣告された障害克服し大成、フランス最高ジャズ・ピアニストとの評価受け、'94年同国栄典制度の最高位レジオン・ドヌール勲章授与されたのだが、5年後ツアー先のニューヨーク市内で「 肺感染症 」に冒され、マンハッタン地区ベス・イスラエル病院入院も虚しく、短く儚い人生とその才能惜しまれつつ、1999年1月6日天へ召された、享年36歳。


19:20 : デッサン・ド・ムジィークトラックバック(0)  コメント(6)

潮薫る黄夏に梅雨空懐かし

Yellow Summer has come.






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                    海門 / 20100718












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               浜の鑑は黄夏と共に / 20100718












      earysummer03.jpg
                   海の鑑 / 20100718








00:16 : 写  真トラックバック(0)  コメント(2)
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